<銀杏岡八幡神社>いちょうがおか
この地は、源義家が奥州平定へ向かう途上で、休憩のために陣を敷いた場所とされています。この時、義家は川上から流れついた銀杏の枝を、小高い丘だったこの地にさし、勝利を祈願したそうです。このこのとが、この地に鎮座する八幡さまへと繋がっていくわけですが、詳細については、東京都神社庁ホームページの説明を下記にそのまま転記させて頂きます。
『奥州征伐のため下向の折、当地で休憩中川上より銀杏の枝が流れてきた。義家公はその枝を丘の上にさし立て「朝敵退治のあかつきには枝葉栄うべし」と祈願した。奥州平定の後再びこの地に帰り至ったとき銀杏が大きく繁茂していたので公は神恩に感謝し太刀一振を捧げ、八幡宮を勧請したのが、康平五年(1062)で当社の創祀と伝える。』
大願成就ののち、感謝した源義家が武運の神である八幡神をこの地に勧請したことが、銀杏岡八幡神社の起源ということですね。創建が1062年。古い古い歴史の八幡さまです。この地が奥州へつながる古い街道沿いだったことを思えば、義家が行きも帰りも立ち寄ったのは自然なことです。社名の由来にもなった銀杏は大樹となって江戸時代まで存在していたようですが、大火で焼失し、現存はしていないそうです。
浅草橋駅東口を出てすぐです
賑やかな街中の神社ですが、鳥居をくぐると別世界
こぢんまりとした境内には凛とした空気が漂います
こちらは境内社の此葉(このは)稲荷神社
江戸時代、この地は福井藩松平家屋敷となり、神社はその邸内社となっていたとのこと。福井藩といえば、徳川家康の次男であり、武勇の誉れ高い結城秀康が藩祖ですね。そんな名門家の屋敷が長らくあったことも影響してか、この付近はかつて福井町と呼ばれていましたそうです。やがて福井藩の屋敷がなくなり、義家ゆかりの古い神社は地元の産土神、明治時代には村社にもなりました。
今でも浅草橋を代表する神社です
ということで
八幡太郎義家の戦勝祈願から始まる神社のご紹介でした。
■訪問:銀杏岡八幡神社
(銀杏八幡さま)
[東京都台東区浅草橋]1-29-11
■参考及び出典
東京都神社庁ホームページ
・銀杏岡八幡神社
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/3131/
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