福井松平藩邸跡と刻まれています
この石碑は台東区浅草橋でみつけました。左側には福井中学校の文字。中学?そのなぞは石碑の下に記されている説明文ですぐに解けました。
こちらによれば『この地はかつて越前福井藩邸が置かれたことに由来して福井町と呼ばれ、明治35年に福井尋常小学校が置かれ』たとのこと。大正時代の関東大震災で木造校舎が全焼したり、昭和になって学び舎が復興されたりといった学校の歴史が紹介されています。昭和22年に福井中学校となり、平成3年に蔵前中学校との統合により閉校とのこと(ここに記載はありませんが、合併して浅草中学校となったようです)。そして、最後に校章と校歌が記されています。
この場所は、福井中学校跡地ということのようです。そして、古くは福井松平藩邸だった場所。藩邸は広範囲に及んだと思いますが、ここもその一部であったのでしょう。
説明文にもある通り、この付近は福井藩の江戸屋敷が置かれたことに由来して福井町と呼ばれていました。そう名付けられたのは江戸時代中期のようなので、地元にとっては、現在の浅草橋という住所名より、もしかしたら馴染み深い名前なのかもしれません(勝手な推定)。
福井藩といえば、徳川家康の次男であり、二代将軍秀忠の兄である結城秀康が藩祖です。秀康は名門結城家の養子となり結城を名乗りましたが、越前を与えられたのちに松平性に改め、越前松平家を興しました。越前松平家は御三家に次ぐ家格ということになりますが、秀康の石高は御三家より上です。幼少期から家康に冷遇されていたという話もありますが、やはり格別の扱いであったことは間違いないですね。
武勇の誉れも高い松平秀康が藩祖である福井藩の江戸屋敷がこの地にあった。昭和の住居表示の実施で福井町は浅草橋一丁目に編入となり消滅しましたが、板橋区に前田家の屋敷があったことで加賀という地名が残っているように、ここも何とか『福井』の名は残せませんでしたかね(これも勝手な意見)。
私は通りすがりのよそ者ではありますが、目にした石碑のおかげで、ここがかつて福井町と呼ばれていたことを知りました。伝えたいという思いが形となっていることで、その機会を得たことになります。
歴史を記してくれてありがとうございます
■訪問:福井松平藩邸跡
(区立福井中学校跡地)
[東京都台東区浅草橋]1丁目22
■参考及び抜粋
Wikipedia:2022/7/29
福井中学校跡地説明文
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