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2022年08月01日

関東郡代伊奈氏のなごり(中央区) 郡代屋敷跡

<郡代屋敷跡>ぐんだいやしき
Kantogundaiyashiki.JPG
神田川に架かる浅草橋の南側には『郡代屋敷跡』と記された説明板がたてられています。

郡代といえば関東郡代の伊奈一族(とは限りませんが伊奈氏が有名)。古くから徳川家康に仕えていた伊奈氏は、家康が江戸城に移ってからは、関東の治水や新田開発、あるいは幕府直割地からの年貢の徴収といった裏方仕事で徳川幕府を支え続けました。


<説明板>
Gundai-Yashiki-Explanation- Board.JPG
せっかくですので、中央区教育委員会さんの説明文を以下に引用させて頂きます。『』内は原文そのままです。

『江戸時代に、主として関東の幕府直轄領の、年貢の徴収・治水・領民紛争の処理などを管理した関東群代の役宅があった場所です。』
伊奈氏の活動範囲は関東の広範囲に及びますが、ここが江戸での拠点だったということですね。伊奈氏代々の本拠は現在の埼玉県でした。

つづいて関東郡代について
『関東郡代は、天正十八年(一五九〇)徳川家康 から代官頭に任命された伊奈忠次の二男忠治が、寛永十九年(一六四二)に関東諸代官の統括などを命じられたことにより事実上始まるとされます。元禄年間(一六八八〜一七〇四)には関東群代という名称が正式に成立し、代々伊奈氏が世襲しました。』
伊奈忠治を関東郡代として扱っている文献も多いことから、当ブログでもそう表現しています。中央区教育委員会さんの説明を厳密に読み解くと、関東諸代官の統括であるから『事実上』関東郡代ということで、正式な職となるのはのちの話のようです。まぁ理解はしましたが、今後もあまり厳密に区別することなく、関東郡代を役割として受け止めたいと思います。

ところで、伊奈忠治は二男となっていますね。忠治には忠政という兄がいました。伊奈家二代目として充分に活躍していましたが、34歳の若さで他界してしまいます。伊奈家本家の家督は幼い兄の子に継がせ、役割は忠治が引き継ぎました。その活躍は目覚ましく、子孫に受け継がれる伊奈氏の地位を不動にしたのは忠治とまで言われています。

さて
屋敷の話に戻します
『その役宅は、初め江戸城の常盤橋門内にありましたが、明暦の大火(一六五七)による焼失後、この地に移り、馬喰町郡代屋敷と称されました。』
伊奈氏の屋敷は当初別の場所にありましたが、明暦の大火の影響でこの地に移転となりました。元の場所は、現在の東京拘置所付近(葛飾区小菅)です。伊奈忠治が本拠となる埼玉県川口市の陣屋(赤山陣屋)を中心に整備した赤山街道のうち、千住道と呼ばれる道筋は小菅に繋がっていました。


そして最後に
『寛政四年(一七九二)に伊奈忠尊が罪を得て失脚した後は、勘定奉行が関東群代を兼ねることとなり、この地に移住しました。文化三年(一八〇六)に関東群代制が廃止され、さらに屋敷が焼失した跡には、代官の拝領地となって、馬喰町御用屋敷と改称されましたが、江戸の人々はこの地を長く群代屋敷と呼んでいました。』
文中にもあるように、忠尊(ただたか)が伊奈家最後の関東郡代となりました。

『事実上』伊奈忠治から始まる関東郡代を世襲した伊奈氏について、評価はいろいろあろうかとは思いますが、私個人は、総じて庶民思いの政策を掲げて、農政・民政に力を注いだ一族と感じています。

Gundai-Yashiki-Asakusabashi.JPG
関東群代が廃止され、屋敷も焼失しているのに、江戸庶民から郡代屋敷と呼ばれ続けた場所です。

■訪問:郡代屋敷跡
[東京都中央区日本橋馬喰町]2丁目

■参考及び出典
現地説明板(中央区教育委員会)
Wikipedia:2022/8/1



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posted by Isuke at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]
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