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2022年08月07日

赤山街道大宮道のゴール地点(さいたま市西区)

久しぶりに永田陣屋跡を訪ねました
<永田陣屋>
Nagayamon-Gate-Nagata-jinya.JPG
徳川家康の古くからの家臣・伊奈忠次が設けた陣屋跡です。忠次は荒川水系の治水と灌漑のために、ここに拠点を築いたとされています。

前回は純粋に陣屋跡として訪問しました。今回は赤山街道のゴール地点であることを意識しての再訪となります。

<赤山街道>
akayamakaido.JPG
一見ただの道路ですが、古くからある街道です。冒頭の陣屋を築いた伊奈忠次から、幕府領を管轄する役割を引き継いだ伊奈忠治により造られました。人の往来や物資輸送を円滑にするためのこの道は、忠治の本拠である赤山陣屋へ繋がることから、赤山街道と呼ばれています。

■赤山街道大宮道■
赤山陣屋を中心に整備された赤山街道は、方角からそれぞれ大宮道・千住道・越谷道と呼ばれています。このうち大宮道は、現在の川口市から旧浦和市・旧与野市を経由して、旧大宮市西部へつながる道筋です。

<永田陣屋>
Nagata-jinya-Saitama.JPG
大宮道のゴールであるこの陣屋跡は、現在の住所だと、さいたま市西区土屋になります。地名から土屋陣屋とも呼ばれています。

<永田家長屋門>
Nagatajinya-Nagayamon-Gate.JPG
この立派な長屋門は、さいたま市の指定有形文化財となっています。維持するだけでも大変そうです。

<忍び返し>
Security-Equipment-Nagata-jinya.JPG
屋根伝いの侵入者を防ぐ仕掛けです

<長屋門の内側>
Nagata-jinya-Exhibits.JPG
長屋門の内側に吊るされた籠。下から見ると造りがよくわかりますね

陣屋跡は、伊奈氏とともにこの地域の基盤造りに尽力した家臣の永田氏に受け継がれ、今に至ります。外周に堀ものこされており見応えがありますが、あくまで個人宅ですので、訪問される方はその辺りの配慮が必要ですね。

<屋敷の堀>
Nagata-jinya-moat.JPG


さて
陣屋の周辺もご紹介させて頂きます。伊奈氏の治水事業・新田開発の恩恵を受けて形成された農村のなごりです。

<氷川神社>ひかわじんじゃ
shrine-nisi-asuma-Hikawajinja.JPG
陣屋跡近くの氷川神社です。氷川神社の本社は現在の大宮区。荒川流域を中心に多数分布している神社です。

<西遊馬氷川神社拝殿>にしあすま
shrine-nisi-asuma.JPG
遊馬は「あすま」と読みます。大宮と川越の中間に位置するこの周辺には、古くから人の暮らしがあり、戦国時代には既に遊馬郷として成立していたそうです。神社もその頃の創建ではないかと考えられています。

<本殿>
main-shrine-nisi-asuma-hikawa.JPG

<遊馬の力石>
nishiasuma-chikaraishi.JPG
米の収穫を祝う力比べに使われた力石が鳥居の脇に並べられています

<力石の説明板>
Hikawajinja-information.JPG
ここにも記載されていますが、ここ遊馬は、伊奈忠次による荒川の瀬替えの恩恵を受けて発展しました。豊かになるほど人が集まる。文化が根付く。力石の行事も、その一環といえますね。

<力石>
nishiasuma-chikaraishi-.JPG
男達の汗が染み込んだ石

<大宮・川越道歴史散歩コース>
nishiasuma-information.JPG
境内に設置されている歴史散歩コースに関する説明板(さいたま市教育委員会)にも、氷川神社が遊馬村の鎮守であることが記されています。『宿の氷川様』と呼び親しまれていたとのこと。『宿』と呼ばれるところは、宿場のように道の両側に集落が形成されている場合が多いですね。ここもそうだったようです。

つづいて
そんな遊馬の古い寺院

<高城寺>こうじょうじ
kojoji-templegate.JPG
1543年(天文12年)の開創と伝わる古い寺院です。先ほどの氷川神社ののすぐ近くです。

<鐘楼門>
kojoji-belltowergate.JPG
山門を抜けると正面に鐘楼門

<本堂>
kojoji-temple.JPG
立派な寺院です

遊馬山と号するこのお寺は、江戸時代後期には寺子屋が開かれたそうです。むかしの遊馬の中心地といえますね。

<境内>
kojoji-precincts.JPG
石塔が並んでいます

<門前>
kojoji-stone- Buddha.JPG
こちらは山門右手覆屋の庚申塔。青面金剛立像ですね。

<説明板>
Arakawa-Stone-Buddha.JPG
説明板によれば、もともとは荒川の土手に立っていましたが、平成20年の堤防拡張工事のため、高城寺の敷地内に移され、土手外にあった当時の面影、雰囲気を住職が再現しましたものとのこと。

荒川の恩恵で人が集まり、その人たちが願いを込めた石仏が、荒川の都合で立ち退かなくてはならない。

何となく釈然としなかったのですが、説明文の最後の『これも世の流れ、すべてのものごとは移り変わってゆく「無常」というものを感じ、これからも変わらずお参りしていただくことを願います』というお言葉に、心が和みました。

ということで
赤山街道大宮道のゴール付近の陣屋、そしてほんの一部ではありますが、その周辺に根付いた人の営みのお話でした。

<赤山街道大宮道>
akayamakaido-to-akayamajinya.JPG

<陣屋跡>
Nagayamon-Nagatajinya.JPG


川が好きなように流れ、あちこちで氾濫を繰り返す関東平野では、この対策とともに、いかに水を利用するかが課題でした。徳川家康の命でこれに立ち向かったのが伊奈忠次であり、息子の忠治でした。その活動の拠点、インフラとして整備された街道、そしてその恩恵を受けて成立したひとの暮らしを同時に感じることができ、とても満足な訪問となりました。

-------■ 永田陣屋 ■-------
別 名:伊奈陣屋・土屋陣屋
築城年:(江戸時代初期)
築城者:伊奈忠次
城 主:伊奈氏・永田氏
[さいたま市西区土屋]5番地

■参考及び出典
Wikipedia:2022/8/7
現地説明板
・西遊馬氷川神社
・高城寺
大宮・川越道歴史散歩コース説明板
(さいたま市教育委員会)


■当ブログの過去記事
投稿:2018年12月10日
タイトル:永田陣屋
  伊奈忠次が築いた陣屋跡
→記事へすすむ


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タグ:赤山街道
posted by Isuke at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 街道・古道
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