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伊奈氏歴代当主が保護した奥秩父の三峯神社 [2024/09/09 21:00]
<三峯神社>
訪問した三峯神社の御由緒に、関東郡代・伊奈氏のことが記されているのを見つけました。その部分だけ以下に転記させて頂きます(『』内は原文)。
『江戸時代、関東郡代伊奈半十郎検地の折、三里四方を境内地として除地され、寛文元年 現在の本殿が造営されました。』
伊奈氏は関八州の天領の治水や新田開発、検地で功績を上げ、徳川家の関東支配の基盤整備に大きく貢献した一族です。初代の伊奈忠次から始まり、『関東郡代』を十二代にわたって世襲しました。関東の代官の筆頭という..
伊奈忠次・忠治墓所(鴻巣市)勝願寺 [2023/12/28 21:30]
徳川家康の国造りの陰の功労者である伊奈忠次・忠治親子の墓所を訪ねました。
<惣門>
鴻巣市の勝願寺です。号は天照山良忠院。浄土宗の寺院です。
<栴檀林>ぜんだんりん
僧侶の養成所を意味しています。勝願寺は関東における浄土宗の僧侶養成のための十八カ寺(関東十八檀林)のひとつです。
<仁王門>
もともとは結城城から移設された仁王門がありましたが明治に焼失。再建された際に秩父の三峯神社から贈られた仁王像が立ち並んでいます。
<鐘楼>
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赤山街道大宮道のゴール地点(さいたま市西区) [2022/08/07 23:20]
久しぶりに永田陣屋跡を訪ねました
<永田陣屋>
徳川家康の古くからの家臣・伊奈忠次が設けた陣屋跡です。忠次は荒川水系の治水と灌漑のために、ここに拠点を築いたとされています。
前回は純粋に陣屋跡として訪問しました。今回は赤山街道のゴール地点であることを意識しての再訪となります。
<赤山街道>
一見ただの道路ですが、古くからある街道です。冒頭の陣屋を築いた伊奈忠次から、幕府領を管轄する役割を引き継いだ伊奈忠治により造られました。人の往来や物資輸送を円滑に..
関東郡代伊奈氏のなごり(中央区) 郡代屋敷跡 [2022/08/01 22:15]
<郡代屋敷跡>ぐんだいやしき
神田川に架かる浅草橋の南側には『郡代屋敷跡』と記された説明板がたてられています。
郡代といえば関東郡代の伊奈一族(とは限りませんが伊奈氏が有名)。古くから徳川家康に仕えていた伊奈氏は、家康が江戸城に移ってからは、関東の治水や新田開発、あるいは幕府直割地からの年貢の徴収といった裏方仕事で徳川幕府を支え続けました。
<説明板>
せっかくですので、中央区教育委員会さんの説明文を以下に引用させて頂きます。『』内は原文そのままで..
伊奈半左衛門の陣屋跡と伝わる丘(御屋敷山)円阿弥陣屋 [2022/01/17 22:20]
つわものどもが夢の跡
関東郡代伊奈氏の陣屋があったと伝わる場所を訪ねてみました。最初に言っておきますが、遺構はなく、石碑や説明板といった目印もありません。そんな内容でよければお付き合いください。
<台地の縁>
大宮台地から鴨川沿いの低地へ向かう地点です。この付近に伊奈半左衛門の陣屋があった伝わります
■赤山街道大宮道■
伊奈氏が自らの拠点である赤山陣屋と各地をつなぐために築いた赤山街道。時を重ねた現在も、道路として活かされています
<埼玉県道1..
赤山陣屋のなごり [2022/01/10 22:30]
つわものどもが夢の跡
今回は久々の訪問となった川口市の赤山陣屋の話です。
<赤山陣屋堀跡>
極寒の師走、一人でてくてくと歩いてきました
■伊奈忠治の陣屋■いな ただはる
ここ赤山陣屋は、江戸時代の関東において、治水事業・新田開発で功績を残した伊奈氏の本拠地です。伊奈氏三代目の忠治により築かれました。
<赤山陣屋入口>
<赤山日枝神社> あかやまひえじんじゃ
盛り土の上に鎮座する日枝神社。空堀を造成する時の土を積んだとされています..
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