つわものどもが夢の跡
関東郡代伊奈氏の陣屋があったと伝わる場所を訪ねてみました。最初に言っておきますが、遺構はなく、石碑や説明板といった目印もありません。そんな内容でよければお付き合いください。
<台地の縁>
大宮台地から鴨川沿いの低地へ向かう地点です。この付近に伊奈半左衛門の陣屋があった伝わります
■赤山街道大宮道■
伊奈氏が自らの拠点である赤山陣屋と各地をつなぐために築いた赤山街道。時を重ねた現在も、道路として活かされています
<埼玉県道165号>大谷本郷さいたま線
こちらは赤山街道のなかでも大宮道と呼ばれる道筋。さいたま市西区から始まり、大宮区を経由して中央区の本町東付近まで南下した地点です。
<赤山通り>
伊奈氏のなごり
さて
赤山街道の大宮道はここから県道165号と分かれ、東へ進路を変えます
<交差点>
右手奥が赤山街道(県道165号)。この交差点を左折して(画像だと右方向へ進んで)八幡通りを経由して東へ向かうのが大宮道の本筋です。
ただ、当日持参した赤山街道の地図を見ると、八幡通りの逆方向も赤山街道と記されています。
これはどういうことなのか?
時間に余裕もあったので、その場でネット検索。すると、この先に伊奈氏の陣屋跡と伝わる場所があることが分かりました。
御屋敷山か…
いかにもそれらしい名です。ということで、予定を変更して先ほどの交差点を右折し、西へ向かうことになりました。
■大宮道の脇道■
<八幡通り>
西へ
<中央区本町西>
高速道路の下を通過
<中央区八王子>
ちょっと立ち寄り
<中央区円阿弥>
西へ
<不動明王像>
ちょっと立ち寄り
そして更に西へ進むと
<下り坂>
ここまで平坦でしたが、この先で下り坂となります。そして地図に記された赤山街道は、だいたいこの付近で途切れます
<既に目的地付近>
坂を下ります。既に『御屋敷山』と呼ばれるところを歩いていることを意識しながら
<台地が途切れる地点>
低地へ降りました。暗渠がお出迎えです。これ以上西へすすんでも、鴨川に出るだけ。伊奈氏の陣屋跡とされる場所は、川沿いの低地に面した大宮台地の西端にあったということになります。では具体的にはどこなのか?低い位置から台地側を見上げましたが、すっかり宅地化されていてイメージがわきません。
<推定地>
ここがもっとも可能性が高い場所?
陣屋の遺構として、台地の西縁、つまりこの付近に土塁があったと伝わります。そして台地上には段違いの二つの平らな区画があったとのこと。しかし現在は御覧の通りで、高低を感じられるだけです。
ここまでみっちり住宅が並んでいると、人目が気になりますし、そもそも手前のこの道も私道かもしれません。公道と思われるギリギリのところから写真を撮り、退散することとしました。ちなみに、どの家も新しく綺麗で、羨ましい住宅でした。
<円阿弥グラウンド>
こちらは先ほどの住宅のすぐ近くで、台地の端の斜面に位置するグラウンドです。住所は同じく中央区円阿弥2丁目。陣屋の場所は明確にはなっていないのですから、ここも候補地といえます。
ところで
<円阿弥>えんなみ
そもそもこの字は読めませんよね。地名の由来は、岩槻城の太田氏房の家臣でもあった領主の名とのことですが…え・ん・な・み…?法名ですかね?(わからず…)。また、地名の由来を知ってしまうと、ここが「御屋敷山」と呼ばれている理由、そして最近まであったと伝わる遺構は、太田氏家臣でもある領主の屋敷と関係あるのではないか?などと想像してしまいます(こちらもわからず・・・)
え・ん・な・み・・・
ということで
さいたま市内で伊奈半左衛門の陣屋跡と伝わる場所を訪ねてみたというお話でした。詳細が不明なままで恐縮です。ちなみに、伊奈氏の歴代当主の通称は半十郎か半左衛門のどちらかなので、具体的にどなたの屋敷跡だったのかも不明です。
拙ブログにお付き合い頂きありがとうございました。
■訪問:御屋敷山
(伝 円阿弥陣屋跡)
[さいたま市中央区円阿弥]2丁目
お城巡りランキング
2022年01月17日
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