2022年8月
名族・小山氏の居城だった栃木県小山市の祇園城跡。昨年夏の訪問時には工事中だったので、どうなったか気になって再訪してみました。
<城山公園入口>
あらら
工事中です。立入禁止のエリアも増えたようなので、いよいよ工事が佳境に入っているという感じでしょうか?
<堀切り>
こちらもです。ここは本丸と二ノ丸を隔てる堀切跡。城好きの人にとっては見どころのひとつです。よく見ると、二ノ丸(右側)は入っても良いようです。ということで二ノ丸へ
<堀切りと祇園橋>
二ノ丸側から堀切を挟んで本丸側を撮影しました。斜面の崩落を防ぐための工事が施されています
<祇園橋>
当然ですが本丸側へは渡れません
こんな感じですので、この日は本丸以外を眺めて現地を後にしました。
<橋の下>
堀切はそのまま進むと川原に出ます。祇園城は川に面した丘に複数の曲輪を配置した城です
<土塁跡>
曲輪を縁取るように設けられた土塁の跡
<空堀>
こちらは二ノ丸の内側に設けられた馬出しとの間の堀です
ところで
私は一般的な見解をそのまま採用して、それぞれの曲輪を本丸・二ノ丸と呼んでいます。しかし本丸の位置についても諸説あり、絶対にそうとは言えないようです。たったいま『馬出し』と呼んだ区画も、位置的に不自然さを感じてはいます。本丸がどにあるかで、それぞれの区画の意味も変わってしまいますからね。
<丘城>
帰りに城外から撮影した祇園城跡
ここ祇園城は、栃木県南部に勢力を誇った小山氏の居城でした。小山氏は鎌倉時代から代々嫡流が守護を務めた下野国の名族です。ただ、11代当主・小山義政の時に鎌倉公方と争うこととなり(小山義政の乱)、幕府軍に滅ぼされました。小山氏は祖を同じくする結城氏から養子を迎えて再興しますが、戦国の世に突入すると危機にさらされ続け、1575年には小田原北条氏により当主(小山秀綱)が追放され、城も失うことになりました。
北関東に進軍する北条軍を指揮していたのは、北条氏康の三男で、兄・氏政とともに北条屈指の猛将と称された北条氏照です。氏照は祇園城に手を加えて、北関東での勢力拡大のための拠点とすべく、改修工事を行いました。北条氏滅亡後、徳川家臣の本多正純が城主となり、更に城に手を加えていますが、現在城跡として扱われている城山公園付近に関しては、大筋の縄張りは氏照の時に出来上がっていたと推測されます。
<昨年撮影:現地説明板>
個人意見ですが、川に沿って曲輪を配置するこの連郭式の縄張りは、他の北条の城と共通点が多いと思います
<つわものどもが夢の跡>
仮の話ですが、豊臣秀吉によって小田原北条氏が滅ぼされることがなかったら、その後もしばらくは北条氏照配下の城だったわけですね。城はその頃の形を留めてはいませんが、残された痕跡のどれかは、そのまま北条氏照が込めた思惑のなごりなのかもしれません。
ということで
名族・小山氏から始まる城ですが、改修工事中のため、大むかしに城を改修した北条氏照について触れさせて頂きました。改修の目的は異なりますが、既にある城を、修復してより良くしようという意味では同じですね。
ちょっと強引なまとめ方となりましたが、拙ブログに最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。
-------■ 祇園城 ■-------
別 名:小山城
築城年:1148年
築城者:小山政光
改修者:北条氏
支 配:小山氏・北条氏・本田氏
廃 城 :1619年
現 況:城山公園
[栃木県小山市城山町]
■参考
現地説明板(小山市教育委員会)
■当ブログ過去記事■
投稿:2021年08月29日
タイトル:工事中の夏(祇園城跡)
『→記事へすすむ』
投稿:2017年07月15日
タイトル:名族小山氏波乱万丈の城跡
『→記事へすすむ』
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---------追 記---------
2024年3月
追加画像を貼っておきます。かなり工事が進み、曲輪も公開されていました。
<城山公園>
<本丸跡>
<堀切>
2022年08月21日
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