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記事
大多喜城のなごり [2023/07/16 22:45]
つわものどもが夢の跡
中世の山城をベースに近世城郭として設備された大多喜城を訪ねました。
<大多喜城>おおたき
こちらは本丸跡に建てられた天守をイメージした博物館です。現在の大多喜城のシンボルですね。
■上総武田氏の支配■
大多喜城は、上総武田氏の一族・真里谷(まりやつ)氏による築城から始まります(1521年)。上総武田氏は名の示す通り甲斐源氏の支族。房総半島に渡った名門ですね。
当時の地名は小田喜であったことから、小田喜城と呼ばれていました。..
徳川四天王・本多忠勝ゆかりの地(大多喜城) [2023/07/09 22:52]
徳川四天王・本多忠勝が入城した城跡を訪ねました。
<大多喜城>おおたきじょう
千葉県大多喜町の山城です。こちらは専用駐車場から続くなだらかな坂道。道沿いに紫色の幟が沢山掲げられていました。
<幟>
「本多忠勝・忠朝」を大河ドラマに!
本多忠勝は好きな戦国武将のひとりですから、まぁ賛成です。私の訪問は2023年の春ですので、NHK大河ドラマは『どうする家康』。徳川四天王のひとりである本多忠勝は当然登場し、かなり重要な役どころとなってはいますが、あく..
山谷に眠る将兵の魂(大多喜城跡)石垣の石を祀った社 [2023/07/08 23:30]
大多喜城跡の駐車場で、小さな社に足が止まりました。
<ちいさなやしろ>
質素でありながら、素通りしにくい雰囲気を醸し出しています。傍らに説明板が設置されていたので、何が祀られているのかすぐに分かりました。
<説明板>
下記に転記させて頂きます。一部見えにくいところは文脈から推定させて頂きました。
『この社は、大多喜城再築の際に発掘された石垣の石です。何百年も前の戦に散った戦国の武勇武将の功を祭り造築致しました。戦国に散った将兵達は、いまもなお山谷..
城山から水を引いた水路のなごり(大多喜町)大多喜水道水路 [2023/07/06 21:25]
千葉県大多喜町の山城を探索中、岩盤に奇妙な穴をみかけました。
これは城の抜け道か?
ちょっと期待しましたが違いました。設置されている説明板によれば、これは水路の跡だそうです。説明文を下記に転記させて頂きます(『』内は原文のまま)。
『城下町大多喜は、昔から良い飲み水に恵まれず、人々の苦労は絶えませんでした。最後の城主である松平(大河内)正質の頃ようやく水道の工事が具体化し、明治二年(1869)十一月に工事を始め、翌明治三年五月に完成しました。この水道によ..
将門の子が砦を築いたのが始まりという伝説(久留里城) [2023/06/02 20:50]
君津市公式ホームページでこんな記載を見つけました。
『久留里城の起源については「平安時代中期の猛将平将門の三男、東少輔頼胤が初めてこの地に砦を構えた」と伝えられていますが、確証はなく伝説と考えられています。』
[『』内は原文/読み:東少輔頼胤(とうのしょうゆうよりたね)]
<久留里城跡>くるりじょう
あの平将門の子が砦を築いたと聞くと、とても興味深い話ですね。この伝説の詳細は省略しますが、大筋では、将門には三人の息子がいて、そのうち三男は東少輔と称し、夢..
久留里城のなごり(君津市) [2023/05/31 22:31]
つわものどもが夢の跡
千葉県君津市の山城を訪問しました。
<久留里城>くるりじょう
本丸跡の模擬天守です。
■久留里城の歴史■
私は漠然と「里見氏の居城」というイメージのまま訪問しましたが、歴史はかなり長く、廃城も明治になってからということを現地で知りました。
<久留里城址資料館>
こちらは二の丸跡の資料館です。予習していなくてもここへ立ち寄れば大丈夫
<久留里城の歴史>
分かり安い!助かります。こちらを補足しながら、久留里城の歴..
お玉ヶ池(久留里城)悲話が伝わる山城の池 [2023/05/30 21:10]
久留里城には悲話が伝わる池があります。
<お玉ヶ池>
場所は二の丸のすぐ下あたりです。
<説明板>
こちらの説明によれば『久留里城の二之丸は、水源がなく不便な場所でした。城主の里見義尭は、家臣の兵馬に池を掘るように命じました。』とのこと。久留里城の歴史は長いですが、里見氏時代の話のようです。ここに登場する兵馬という名の家臣について調べましたが、詳細はわかりませんでした。
つづいて『ある時、兵馬が池を掘っていると、兵糧庫が焼失する事件が起こり、火の..
里見北条古戦史碑(久留里城) [2023/05/28 21:35]
<里見北条古戦史碑>
安房国(千葉県南部)から始まり、徐々に房総半島全体に勢力を拡大した里見氏が、迫りくる小田原北条氏の軍を二度に渡って退けたことが記されています。
<薬師曲輪からの眺め>
こちらは久留里城二の丸の腰曲輪(薬師曲輪と呼ばれています)からの眺めです。久留里城は房総半島の中央部に位置する山城。低地に面しているため、遠くまで見渡せます。かつて里見氏が、攻め寄せる小田原北条軍を迎え撃った古戦場も見渡せます。
どのヘンか?
<古戦場>
..
山城に鎮座する八幡神(久留里城)雨城八幡神社 [2023/05/28 21:10]
<雨城八幡神社>うじょう
久留里城跡の雨城八幡神社です。雨城(うじょう)とは久留里城の別名です。
<薬師曲輪跡>
雨城八幡神社はほぼ山頂に位置する薬師曲輪跡に鎮座しています。
城跡の神社というと、城の鬼門に祀られたことに始まるとか、城主の氏神とかを想像してしまいますよね。しかし、残念ながら現地に御由緒や説明板は見当たらず、創建時期や歴史等は分かりません。御祭神が八幡神であることは間違いありませんね。
<久留里城本丸跡>
久留里城を居城とした..
山頂近くの井戸(久留里城)男井戸・女井戸 [2023/05/23 22:10]
久留里城跡を散策中に井戸を見つけました。遠くから漢字だけみて「おとこいど・おんないど」かと思いきや
<男井戸・女井戸>
おいど・めいど…?
<めいど>
…カフェ?
教養のなさそうな発想で恐縮ですが、現地で頭をよぎったのは事実。しかし、設置されている説明板により、まともな理解ができました。
<説明板>
『伝説によると、この二つの溜め井戸は、奈良時代の僧 良弁によって掘られ、「金剛水」「胎蔵水」と呼ばれたそうです。
戦国期、この場所に里..
久留里城の模擬天守(君津市) [2023/05/22 22:10]
久留里城は室町時代に築かれた古い山城ですが、江戸時代も引き続き存続し、近世城郭として整備されました。
<久留里城>くるりじょう
こちらは本丸跡の模擬天守です。模擬といっても、久留里藩の藩庁となった久留里城に、天守は確かに実在していました。文献などから2層2階と推定されるのみで、詳細は不確かなようです。再建された天守は2層3階ですので、実在のものとはちょっと異なるようです。
<天守台跡>
こちらは天守の遺構です。実際の天守はこの天守台の上に築かれていまし..
君津地方で考案された井戸掘りの技術(上総掘りの井戸掘り櫓) [2023/05/22 21:00]
千葉県の久留里城を訪問した際に、こんな光景と出会いました。
<上総掘りの井戸掘り櫓>かずさぼり
まるで水車のような巨大な輪。これは井戸を掘削するために設備です。
現地説明板によれば、明治の中頃、ここ君津地方で考案された掘り抜き井戸の掘削技術は、上総掘りと呼ばれ、かんがい用水はもとより、石油や温泉の発掘にも使用されたとのこと。また、水不足に悩む発展途上国でも活かされているとのことです。
凄い事ですね。
それは理解しましたが、ではあの大掛かりな設備で、ど..
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