<大多喜城>おおたきじょう
千葉県大多喜町の山城です。こちらは専用駐車場から続くなだらかな坂道。道沿いに紫色の幟が沢山掲げられていました。
<幟>
「本多忠勝・忠朝」を大河ドラマに!
本多忠勝は好きな戦国武将のひとりですから、まぁ賛成です。私の訪問は2023年の春ですので、NHK大河ドラマは『どうする家康』。徳川四天王のひとりである本多忠勝は当然登場し、かなり重要な役どころとなってはいますが、あくまでわき役です。57回の戦闘で「かすり傷ひとつ負わなかった」とか名槍「トンボ切り」なとなど、魅力満載の戦国武将ですが、知らない人は知らないし、大河で1年間主役というのは、かなり手の凝った演出が必要かもしれません。
忠朝は忠勝の次男で、第2代の大多喜藩主です。忠勝・忠朝親子をドラマ化するとなると、これはもう大多喜の物語ということになりますかね。
1590年の小田原征伐で関東覇者の北条氏が滅亡すると、代わって関東に入った徳川家康は、側近中の側近である本多忠勝を大多喜城に入城させました。里見氏をけん制するためですね。1601年に伊勢国の桑名城に移るまでの約10年間、大多喜城は本多忠勝の居城でした。次の城主は父親同様の猛将として知られる忠朝です。1614年に里見氏が改易となった時には、館山城破却の役割を担いました。ただ、大坂夏の陣で毛利勝永軍に正面から突入し、34歳の若さで亡くなりました。
<堀跡>
中世に築かれた大多喜城は、本多忠勝が城主の時に近世城郭に生まれ変わりました。
<模擬天守>
本丸跡には天守をイメージした博物館(千葉県立中央博物館大多喜城分館)が建てられています。3層4階の立派な造りです。私の訪問時は施設改修のため休館中で、貴重な収蔵品を直接見ることはできませんでしたが、展示物の一部が敷地内の別の建物(研修館)に移されていたため、ありがたく見学させて頂きました。
<研修館入口>
<内部の様子>
「大多喜城と城下町」をテーマにした各種パネルや、実物そっくりの甲冑などが展示されていました。
<本多忠勝像をアップで撮影>
かすり傷ひとつ負わなかった…
本多忠勝は、平和な時代になるとやや出番がなくなってしまいますが、大多喜城主だったのは1590〜1601年ですので、まだまだ戦乱の世の真っただ中。幾多の戦場で経験を積んだ40代で、指揮官としては現役バリバリの頃です。この時に本多忠勝が与えられた10万石は、家康の家臣団では井伊直政の12万石(高崎)に次いで第2位。家康からいかに大切にされていたか、また、いかにその後の活躍も期待されていたかが伝わってくるようですね。
大多喜は本多忠勝が初代藩主となった場所です
■訪問:大多喜城跡
[千葉県夷隅郡大多喜町大多喜]1丁目
■参考及び出典
・千葉県立中央博物館小冊子
・現地説明板(研修館内)
・Wikipedia:2023/7/9
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