『久留里城の起源については「平安時代中期の猛将平将門の三男、東少輔頼胤が初めてこの地に砦を構えた」と伝えられていますが、確証はなく伝説と考えられています。』
[『』内は原文/読み:東少輔頼胤(とうのしょうゆうよりたね)]
<久留里城跡>くるりじょう
あの平将門の子が砦を築いたと聞くと、とても興味深い話ですね。この伝説の詳細は省略しますが、大筋では、将門には三人の息子がいて、そのうち三男は東少輔と称し、夢枕にお告げあったことから久留里に砦を築いたというものです。そのまま三代続いたものの、同族である千葉氏との争いに敗れて、久留里を去ることになった。そういう伝説です。
現在の千葉県を中心に勢力を誇った千葉氏の祖は、一般的には将門の叔父の平良文(たいらのよしふみ)とされています。伝説と切り離しても、平将門は千葉氏や同族の相馬氏とは因縁浅からずという印象です。伝説はあくまで伝説ととらえるのが妥当なのかもしれませんが、なかなかスパッと割り切れません。
<久留里城天守>
妥当な見解からこぼれ落ちてしまうようなもの。そこにこそ、趣味の醍醐味があるのかもしれません。将門に関する伝説は関東に数多く残っていますが、ここ久留里城にも残っている。せっかく訪問したので、それを否定することはなしということにします。
拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
■訪問:久留里城
[千葉県君津市久留里]字内山
■出典及び参考
・Wikipedia:2023/6/2
・君津市公式ホームページ
https://www.city.kimitsu.lg.jp/site/kanko/491.html
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