<只上神社>ただかりじんじゃ
群馬県太田市の只上神社。渡良瀬川のすぐ近くです。
<参道>
誰もいませんね。参道左手側の建物は社務所と思われます。参道右手にむかしは遊具が設置されていて、子供たちが遊ぶ姿が見られたそうです。
<拝殿>
よそ者が失礼致します
<村社只上神社御由緒>
この付近は毛里田(もりた)という村だったようです。元々は品陀和氣命(ほむだわけのみこと)のみを祀る神社で、只上八幡宮と呼ばれていました。将門に関する記載はありませんでした。
<本殿>
しっかりと保護されているので御本殿そのものは見ることができませんでした。
<境内社>
こちらは拝殿左側に並ぶ境内社。そういえば、御由緒には合祀に関する詳しい記載がありました。水神宮や稲荷社、雷電社等・・・(省略して申し訳ないです)
只上神社は、かつては「胴筒の宮」とも呼ばれていました。伝承では、ばらばらになった将門の亡骸のうち、胴体がここ只上神社に葬られたとされています。手・足・腹部はお隣の足利市の複数の神社とのこと(手は大手神社、足は鶏足寺、腹部は大原神社)。首については説明は不要ですね。
<境内>
とにかく静かでした
将門には桔梗姫(桔梗の前)と呼ばれる妾がいました(シンプルに侍女と紹介している例が多いです)。しかし桔梗姫は藤原秀郷に内通し(秀郷の妹という説もあり)、これが将門が討ち取られる原因となったともされています。今回訪問の太田市只上は、桔梗姫の出身地とされるこことから(千葉県という説もあり)、将門を祀ることで、祟りを鎮めたということなのでしょう。祟りを恐れられながらも、いつのまにか民衆に慕われているところが、将門という武将の不思議な力だと思えます。
<只上神社裏手>
裏手は渡良瀬川に通じる水路。神社は微高地に位置しています
地元の方のお話では、桔梗を避ける風習は今でも残っているとのことでした。若い人たちにそれがどの程度伝わっているかは分かりませんがね。
ということで
関東には平将門の伝説が数多くありますが、そのひとつをご紹介させて頂きました。
<只上神社遠望>
渡良瀬川の堤防から撮影しました。
<渡良瀬川>わたらせがわ
太田市と足利市の間を流れる渡良瀬川です。この付近(鹿島橋より上流)の河原を八幡川原と呼ぶそうです。只上神社が八幡宮と呼ばれていたことのなごりですね。平将門と藤原秀郷の戦いが行われた川原とも言われています。
以上です。
拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございます。
■訪問:只上神社
[群馬県太田市只上町]1706
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