<お玉ヶ池>
場所は二の丸のすぐ下あたりです。
<説明板>
こちらの説明によれば『久留里城の二之丸は、水源がなく不便な場所でした。城主の里見義尭は、家臣の兵馬に池を掘るように命じました。』とのこと。久留里城の歴史は長いですが、里見氏時代の話のようです。ここに登場する兵馬という名の家臣について調べましたが、詳細はわかりませんでした。
つづいて『ある時、兵馬が池を掘っていると、兵糧庫が焼失する事件が起こり、火の不始末の疑いで、兵達は捕らわれの身となります。』作業に没頭する過程で、火災を起こしてしまったとのことでしょうか。本丸に比較的近いこの付近に、兵糧庫が設けられていたとも受けとめられます。
『城将小川秀政の娘の「お玉」は、これを哀れんで、かわりに池を掘り始めますが、兵馬は打ち首となってしまいます。その後、この疑いが解けると、お玉は髪を切り、兵馬を弔ったそうです。』城将についても調べたのですが、里見氏家臣団に小川秀政の名は見つけられず、情報は得られませんでした。当然ながら「お玉」についても。ただ、こういう悲話があるからこそ「お玉ヶ池」と呼ばれているわけですね。
この情報だけでは何とも言えません。ただ、お玉と兵馬は恋仲だった?というのは考え過ぎでしょうか。また「城将の娘」と「家臣の兵馬」という言い回しから、身分の差すら想像してしまいます。最後は、亡くなった兵馬は無実で、お玉は仏門に帰依することになった。とても切ないお話ですね。
ということで
そんなことはどこにも書かれていないじゃないか!という内容を付け加えてしまい恐縮です。ただ、伝わる話を、似たような感覚で受け止めてくれる方がいれば嬉しいです。
拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
■訪問:お玉ヶ池
(久留里城二の丸付近)
[千葉県君津市久留里]字内山
■参考及び出典
現地説明板『お玉が池』
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