「この際だから大乗仏教の経典である法華経をちゃんと読んでみよう」
と思いました。
(ちゃんと読むといっても、私は意識が低いので「マンガで読む法華経」的な本です。)
で、28章ある法華経をどんどん読み進めていたのですが、その中の第8章の以下の部分で私の手は止まりました。
彼はいずれ完全なる悟りに達し、妙法如来として仏国土に現れるであろう。
その仏国土は、七宝づくりの地からなり、
掌のように平らで、山や谷もなく、神の宮殿が虚空に連なり、
神々も人も、相見ることができる。
その仏国土には、罪悪がなく、女人はいない。
女人はいない
衝撃でしたね。
へー、仏教が理想とする世界には女はいないのか、と。しかも罪悪と同レベルで並べられちゃってるよ、と。
まぁ、法華経というのは方便という「たとえ話」が多用されているので、「七宝づくりの城→進化した意識次元」とか、「山や谷もなく、平坦である→激しい感情や、欲望から離れた平安な意識」とかで、「女人はいない」というのも「性を超越した進化次元である」と解説はされているのですが、そもそも仏教を開いた釈迦は紀元前5世紀くらいの人なんで、当時はバリバリの男尊女卑世界だったことでしょう。
そういう視点で見ると、世界のメジャーな宗教のほとんどは男尊女卑の時代に作られたため、男尊女卑の教えが入っています。
キリスト教なんて、イブはアダムの肋骨から作られましたし。イブがアダムを誘惑して知恵の実を食べさせましたし、ロクなことをしていません。
イスラム教には、まずコーランで「アッラーはもともと男と女の間には優劣をおつけになった」とあり、大前提が男尊女卑です。
神道も、生理中の女性や産褥中の女性は穢れているので神社に入れません。大相撲の土俵にも上がれません。
儒教とヒンズー教には共に、女性は「幼い時は父に、若い時は夫に、夫が死んだら子に従え」という教えがあり、自立はふさわしくないとされています。
なんかこうやってみると、宗教なんてどれもロクなもんじゃないですね。
どの宗教であろうと、たとえ熱心に信仰したとしても女性である私は報われそうにないので、今後も宗教から距離を取って適当に生きていこうと思います。
宗教なんてなくても幸せです。
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