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高岡城のなごり [2024/01/12 23:20]
<高岡城跡>
晩秋の高岡城を訪ねました。
■ 現地訪問 ■
水堀に囲まれた城跡は、市民のための公園として整備されています。
<高岡古城公園入口>
私は城の南側のこの橋を渡って城内に入りました。
<現地説明板>
地図と歴史が記された説明板です。先ほどの橋(駐春橋)を渡ったところに設置されていました。左中央が現在地ですので、南外堀を渡って、いま二の丸にいることになります。この平面図だけだと、関東平野によくある沼地の城を連想してしまいますが..
北陸の国宝建築物(高岡市)前田家ゆかりの瑞龍寺 [2024/01/07 23:30]
城巡りで訪問した富山県で、貴重な国宝建築物を見学させて頂きました。
<瑞龍寺>ずいりゅうじ
堂々とした佇まいの山門。ここは高岡市の瑞龍寺です。山門と仏殿、法堂が国宝となっています。
やや暗い画像で恐縮です。高岡城を訪問したあと、日が暮れるまでの僅かな時間でお邪魔させて頂きました。
<惣門>
この総門を潜ると冒頭の山門と仏殿、そして法堂が一直線に並んでいます。
<山門>
広く整然とした境内。真正面に山門、両脇には玉砂利が敷き詰められ..
高岡大仏(高岡市)人をひきつける大きな阿弥陀如来坐像 [2024/01/06 23:05]
今回は富山県高岡市の大仏をご紹介します。
<高岡大仏>たかおかだいぶつ
奈良の大仏(東大寺)と鎌倉大仏(高徳院)と並ぶ日本三大仏の一つら数えられています。細かいことを言うと、奈良と鎌倉は別格として、三つ目の大仏には複数の候補があります。ここ高岡の大仏もそのひとつということになります。
高さは台座を含めて約16m。重量は65t。 初代と二代目は木造大仏でしたがそれぞれ焼失し、現在の青銅製の大仏で3代目になります(1933年)。銅器の街と呼ばれる高岡市に相応し..
米騒動発祥の地(魚津市) [2023/06/25 21:05]
魚津市を訪問した際に、いわゆる「米騒動」の発端となった場所に立ち寄りました。
<旧十二銀行米倉>
この地からはじまる騒動は、全国的な騒動へと発展しました。
<現地説明板>
魚津市教育委員会さんによる説明文です。転記させて頂きます。『』内は原文です。
『大正三年(一九一四)に始まった第一次世界大戦は、日本に好景気をもたらしたが、その反面、物価は急上昇し、庶民の生活は困窮した。特に、米商人の買い占めや売り惜しみなどにより、米価は戦前の四倍になっていた。』..
上杉謙信も見た魚津の蜃気楼 [2023/06/25 20:55]
魚津市は「蜃気楼の見える街」として有名ですね。魚津城跡を訪問したあと、海岸沿いを歩いていたら、偶然その名所を見つけてしまいました。立ち止まって遠くに目をやりましたが、何も見えませんでした。
蜃気楼は光が屈折して虚像が見える現象です。空気の温度や風の具合など、さまざまな条件が整ってやっと見えるものです。そういう知識だけは持っていたので、特にがっかりすることもありませんでした。
<現地説明板>
魚津浦の蜃気楼(御旅屋跡〈おたやあと〉と題した説明板です。ここは加賀..
魚津城落城の日(1582年6月22日)魚津在城十二将 [2023/06/22 05:10]
本日6月22日は魚津城落城の日です。1582年6月22日(天正10年6月3日)、孤立した城を3ケ月近くも守った上杉の守将たちが、揃って自害しました。
<魚津城址碑>
当時の越後上杉にとって重要な拠点であった城跡です。今では城址碑しかないと知りつつ、いつか訪れたいとずっと思っていました。最前線で敵の大軍に包囲され、絶望の中で敵に立ち向かった城兵のことを思うと、胸が熱くなります。
攻め手の織田軍は、柴田勝家・前田利家・佐々成政といった錚々たる武将に率いられた..
魚津城のなごり [2023/06/18 22:20]
つわものどもが夢の跡
壮絶な籠城戦があった城跡を訪ねました。
<魚津城跡>うおづじょう
本丸跡の城址碑です
■支城から重要拠点に■
魚津城は千葉氏の流れを汲む椎名氏が築いた城です。椎名氏は、富山城を拠点とする神保氏と越中国の覇権争いをした一族で、松倉城(現在の魚津市郊外)を居城としていました。魚津城の築城時期ははっきりしませんが、室町時代には松倉城の支城として機能していたと考えられています。
椎名氏は越後上杉を、ライバルの神保氏は甲斐武田を後ろ盾と..
伏見稲荷魚津大社 河田長親ゆかりの神社 [2023/06/10 22:50]
魚津城跡を訪問する途上で、鮮やかな鳥居に足が止まりました。
<伏見稲荷魚津大社>
名の通り伏見稲荷の分霊を祀った神社です。朱色の鳥居と社殿がひときわ目をひきます。詳細不明ながら、上杉謙信に重用された武将・河田豊前守長親が建立したと伝えられています。
河田長親は、謙信の関東での抗争においては、厩橋城(前橋城)・沼田城といった重要拠点の城代を任された武将です。ここ越中では魚津城を預かり、一向一揆との戦いにおいて現地の指揮官として奮闘しました。苦戦を強いられながら..
武士の鎧の袖を片しきて(魚津城本丸跡)上杉謙信の歌碑 [2023/06/10 21:50]
魚津城本丸跡には上杉謙信の歌碑があります。
<上杉謙信の歌碑>
こちらです。
<説明板>
説明板が設置されています。こちらによれば『天正初年(一五七三年)上杉謙信が越後の精兵を引き連れて越中へ侵入し魚津城外にたむろした時の歌』とのこと。謙信の越中出兵は、この数年前から始まっていましたが、粘り強い抵抗に悩まされ続けていました。そんな謙信が、なかなか制圧しきれない異国の地、魚津城の近くで詠んだ歌が刻まれているわけですね。
つづいて『時は初秋、過雁一声..
富山城のなごり [2022/12/11 22:40]
つわものどもが夢の跡
富山城跡を訪問しました。
<富山城跡>
現在の富山市の中心部に位置する富山城跡です。かつての神通川が城をかすめるように流れ、浮城とも呼ばれる平城でした。
<富山城址公園>
現在は本丸と出丸の跡が城址公園として整備されています
<模擬天守>
立派な模擬天守です。実在した富山城に天守はありませんでしたが、太平洋戦争で甚大な被害をうけた富山市の復興のシンボルとして天守が築かれました。内部は郷土博物館になっています。
..
富山の薬売りの礎を築いたお殿様 富山城址の前田正甫像 [2022/12/03 22:45]
今回は富山売薬の礎を築いた藩主の話です。
<前田正甫像>まえだまさとし
富山城址で撮影した越中富山藩の第2代藩主・前田正甫像。かなり高い位置にあります。現地説明板によれば、台石を含めると10mに及ぶとのこと。
その説明板がこちらです。
<説明板>
詳細が記されています。少し長いので、一部を下記に抜粋させて頂きます。『』内は富山市さんの原文そのままです。
前田正甫は『富山藩第二代藩主。初代藩主である父利次の後をうけ、文武の振興を図り、新田開発..
城跡の模擬天守(富山城址公園にて) [2022/12/03 22:00]
城マニアは模擬天守があまり好きではありません。実は私もむかしはそうでした。
<富山城跡>
こちらは富山城跡の模擬天守です。堂々とした佇まいです。ただ、実在した富山城に天守はありませんでした。そうすると、この天守を城として受け入れることができない。そんな感覚でしょうか。
しかし
この天守が戦後の復興のシンボルだったことを知れば、別な見方もあることに気付くはずです。
富山市は太平洋戦争で大空襲にみまわれ、広島・長崎を除く地方都市では最大の被災地となりまし..
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