<旧十二銀行米倉>
この地からはじまる騒動は、全国的な騒動へと発展しました。
<現地説明板>
魚津市教育委員会さんによる説明文です。転記させて頂きます。『』内は原文です。
『大正三年(一九一四)に始まった第一次世界大戦は、日本に好景気をもたらしたが、その反面、物価は急上昇し、庶民の生活は困窮した。特に、米商人の買い占めや売り惜しみなどにより、米価は戦前の四倍になっていた。』
ここでちょっと補足させて頂きますと、富山では、比較的安い県内の米を商人が買い占めて、県外で高く売るといったことが既に横行していたようです。そこに全国的な米価の高騰が重なったということかと思われます。
つづきです。
『このような状況下、大正七年(一九一八)七月二十三日、北海道への米の輸送船「伊吹丸」が魚津町に寄港した。おりからの米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人が、米の積み出しをおこなっていた大町海岸の十二銀行の米倉前に集まり、米の積み出しをやめるよう要求し、このため米の搬出は中止された。』
ずっとずっと我慢してきた富山県民のうち、魚津の主婦たちは黙ってはいなかったということかと思います。今ならSNSに書き込むとか、抗議の手段がいろいろありますが、当時はそんなものはありません。直接抗議したわけですね。
ただ、これで終わりではなく、当時最大の情報ツールにより、この話は拡散されました。
『この事件は、地元紙により富山県内に大きく報道され、水橋、滑川、岩瀬、泊、生地など沿岸部で次々と米騒動がおこった。さらにこの騒動は全国に広がり、当時の内閣が総辞職に追いこまれた。その後、日本で最初の本格的な政党内閣の誕生につながった。』
魚津漁師の主婦の切実な思いは、全国をゆるがす騒動となり、政界にも影響しました。
<当時の地図>
十二銀行は現在の北陸銀行です。他にも複数の銀行の蔵が並んでいたようです。銀行は直接モノの売買をしませんので、商人への資金支援と関連して、コメを管理下の倉庫で預かっていたのでしょう。
米騒動のきっかけとなったことは、近年まで不名誉なこととして受止められ、あまり語られてこなかったようです。しかし現代では、その評価も変わっています。
民意が国をも動かしたのですから、画期的な出来事ですよね。
<記念モニュメント>
こちらはすぐ近くの公園で撮影した米騒動のモニュメントです。船のへさきと積んである米俵のデザインは、米俵の積み出しをイメージしているとのことです。
目立ちますね。米騒動の評価が変わってきていることの象徴です。魚津市では、米騒動が起きた7月23日を「魚津米騒動の日」としています。
<富山湾>
先ほどのモニュメントの台座は、魚津の海岸をイメージしているそうです。
ということで
魚津から始まった米騒動のお話でした。ことが起こった背景は貧富の差の増大、そして食糧費の高騰。なんだか最近よく耳にするキーワードですね。
拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございます。
■訪問:
旧十二銀行米倉
[富山県魚津市本町]1-2-33
■参考及び出典
・現地説明板
・とやま富山観光ナビ
(米騒動発祥の地)
https://www.info-toyama.com/attractions/51084
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