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2022年12月03日

富山の薬売りの礎を築いたお殿様 富山城址の前田正甫像 

今回は富山売薬の礎を築いた藩主の話です。

<前田正甫像>まえだまさとし
Masatoshi-Maeda-Toyamajo.JPG
富山城址で撮影した越中富山藩の第2代藩主・前田正甫像。かなり高い位置にあります。現地説明板によれば、台石を含めると10mに及ぶとのこと。

その説明板がこちらです。

<説明板>
Masatoshi-Maeda-explanation-board.JPG
詳細が記されています。少し長いので、一部を下記に抜粋させて頂きます。『』内は富山市さんの原文そのままです。

前田正甫は『富山藩第二代藩主。初代藩主である父利次の後をうけ、文武の振興を図り、新田開発や産業育成など、藩政の充実に力を注ぎました』とのこと。文化人としても知られる藩主だったようです。そして『正甫は富山売薬の基礎を築いた人物としても有名です。それは「反魂丹伝説」という形で語り継がれています。』とあります。

反魂丹(はんごんたん)?
伝説?

ちゃんと続きがあります。『元禄三(一六九〇)年、正甫が参勤交代で江戸城に登城した折、とある大名が激しい腹痛を訴えました。そこで懐中に常備していた「反魂丹」をすすめたところ、たちどころに治りました。その様子を見た諸大名は「反魂丹」の効能に驚き、自分の領内での販売を求めるようになったため、正甫の命で諸国に行商させたのが富山売薬の始まりであるという伝説です。この伝説により、正甫は「富山売薬を広めたお殿様」として、いまでも市民の間から親しまれているのです』

読んだ通りで、これ以上説明は不要ですね。ちなみに、文中にある『とある大名』とは、三春藩主の秋田輝季だったようです。ちょっと失礼ながら、秋田輝季も富山の薬を世に広めるのに貢献したということになりますね。

この伝説の信憑性はともかく、正甫が城下の製薬店や薬を扱う業者の商売を保護し、売薬を奨励したことは事実です。そしてこの働きかけが、のちに発展する越中薬売りの礎となりました。

<富山売薬を広めたお殿様>
Masatoshi-Maeda.JPG
一説によれば、正甫はあまり体が丈夫な方ではなかったそうです。それ故に、薬に強い関心を持っていたとも言われています。何が吉と出るのか、わからないものですね。

■訪問:前田正甫像
(富山城址公園)
[富山県富山市本丸]

■参考及び抜粋
Wikipedia:2022/12/3
現地説明板(富山市)



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タグ:富山
posted by Isuke at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ゆかりの地
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