富山城跡を訪問しました。
<富山城跡>
現在の富山市の中心部に位置する富山城跡です。かつての神通川が城をかすめるように流れ、浮城とも呼ばれる平城でした。
<富山城址公園>
現在は本丸と出丸の跡が城址公園として整備されています
<模擬天守>
立派な模擬天守です。実在した富山城に天守はありませんでしたが、太平洋戦争で甚大な被害をうけた富山市の復興のシンボルとして天守が築かれました。内部は郷土博物館になっています。
<石垣>
土台となる石垣も立派です。大きな鏡石がひときわ目をひきます。
<佐藤記念美術館>
実業家佐藤家のコレクションを展示している美術館と庭園。建物は富山城隅櫓を模したものとのこと
<隅櫓風建物>
裏側から見たほうが雰囲気がありますね
■守護代による築城■
富山城の歴史は古く、守護から越中西部の統治を任されていた守護代・神保氏の命により築かれたのが始まりとされています(1543年頃)。具体的な築城者は家臣の水越勝重、築城の目的は、同じく守護代として越中東部を治める椎名氏をけん制するためでした。守護代を務める両家が争う状態になっていたということですね。
守護代神保氏が築いた富山城は、のちの富山城から少し離れた場所という説もあのますが、大まかにこの付近が城のはじまりと受け止めることにします。
■越後上杉による支配■
越中の東隣は越後。覇者である上杉謙信の影響を強く受けることになり、富山城を築いた神保氏の勢力は弱体化します。そこへ浄土真宗の信徒による一向一揆が起こり、富山城はこの勢力に占拠されてしまいます。少し経緯を省略しますが、最終的に富山城から一向一揆を追い出したのは上杉謙信でした。謙信は富山城に家臣を配置し、越中での影響力を強めることに成功しています。
■佐々成政の居城■
上杉謙信が亡くなると(1578年)、後継者の座をめぐる争いが越後上杉内で勃発し(御館の乱)、越中での影響力は弱まっていきます。これに代わって越中に進出した織田信長は、富山城に古くからの家臣である佐々成政を配置しました。
富山城主・佐々成政の誕生です
越中54万石を任されるわけですから、かなり凄いことです。ただ、越中は戦国時代の激戦区。詳細は不明ながら、成政は拠点となる富山城を大改修したと伝わります。
<松川>
城をかすめるように流れる松川です。
<旧神通川>
この水の流れは流路変更される前の神通川と一致します。佐々成政の守る富山城は、この水を城内の堀に引き込む念入りな造りとなっていました。平地に築かれた城ですが、難攻と呼ばれるゆえんですね。
<水堀>
越中の覇者となった佐々成政ですが、ここで暗雲が立ち込めます。頼りにしていた織田信長が、本能寺で明智光秀に討たれ死亡(1582年)。成政が、柴田勝家らとともに上杉支配の魚津城を攻めている真っ最中の出来事でした。
信長亡きあと、佐々成政は羽柴秀吉と敵対することになります。しかし形勢は不利。富山城が秀吉率いる10万の大軍に包囲されるに至り、政治的な理由で既に孤立していた成政は止む無く降伏します。この時、富山城は一旦破却されました。
■加賀前田家の分家の居城■
加賀藩初代藩主の前田利長(前田利家の長男)は、富山城跡を自らの隠居の城として再整備し、金沢城から移り住みました。やがて加賀藩三代藩主・利常の次男・利次が10万石を与えられて分藩することとなり、ここに富山城を居城とする越中富山藩が成立しました。富山前田家は13代続き、そのまま明治を迎えることになります。
<前田正甫像>まえだまさとし
越中富山藩の第2代藩主・前田正甫像です。城下の製薬店や薬を扱う業者の商売を保護し、のちに発展する越中薬売りの礎を築きました。
<千歳御門>ちとせごもん
城址公園の玄関口移設されている江戸時代の城門。第10代藩主・前田利保が、隠居のために城内の出丸に造営した御殿の正門として建てられたものです。遺構が少ない富山城にあって、現存する唯一の建築物です。
<城と説明板>
綺麗に整備されている城址公園で、各所に説明板が設置してあります
<縄張り>
説明板の縄張り図を拡大させて頂きました。天然の要害である旧神通川を背負うように本丸を配置して、逆側には堀や曲輪を配置した平城です。現在の城址公園は、かつての城の一部に過ぎないことが分かりますね。
<つわものどもが夢の跡>
富山城は戦災や開発でその大半が失われましていますが、戦国武将・佐々成政が越中統一を果たした時の居城跡であり、13代も続く富山前田家の居城跡です。現地を訪問したことで、そのなごりを、少しだけ感じることができました。
---------■ 富山城 ■---------
別 名:安住城 浮城
築城年:1543年頃
築城者:水越勝重
改修者:佐々成政
前田利長 他
城 主:神保氏 佐々氏
富山前田氏13代
廃城年:1871年(明治4)
現 況:富山城址公園
[ 富山県富山市丸の内 ]
■参考及び抜粋
Wikipedia:2022/12/11
現地説明板(富山市)
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タグ:富山