<富山城跡>
こちらは富山城跡の模擬天守です。堂々とした佇まいです。ただ、実在した富山城に天守はありませんでした。そうすると、この天守を城として受け入れることができない。そんな感覚でしょうか。
しかし
この天守が戦後の復興のシンボルだったことを知れば、別な見方もあることに気付くはずです。
富山市は太平洋戦争で大空襲にみまわれ、広島・長崎を除く地方都市では最大の被災地となりました。現代人には想像もできない悲惨な状態だったことでしょう。
どんな時代でも希望や憧れは必要です。
昭和20年代の人たちにとって、城の天守は、その対象になり得る存在だったのでしょう。甚大な被害のあった町の復興に、必要な存在だったのでしょう。それを思えば、現存する天守や、史実に基づいて再建された天守とは、別の魅力が漂います。
<天守と濠>
彦根城などの現存天守を参考に設計したそうです。
<富山市郷土博物館>
昭和29年に開催された富山大産業博覧会の時に建てられた鉄筋コンクリート造りの模擬天守。博覧会終了後に郷土博物館として開館して今に至ります。
<天守台>
現地説明板には『旧本丸鉄門(くろがねもん)の石垣上に建てられた』と記されています。
<天守台の石垣>
大きな鏡石や石段。まるで技の展示場のような石垣です。そしてなにより、とても綺麗に整備されています。かつては復興のシンボル、今は深くて長い歴史の刻まれた富山市のシンボルです。
ということで
富山城跡を訪れて感じたことを、そのまま記させて頂きました。城跡巡りを始めたばかりの頃、模擬天守に否定的だったことへの自省の念も含まれています。
日記が如き拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
■訪問:富山市郷土博物館
(富山城址公園)
[富山県富山市本丸]
■参考及び抜粋
Wikipedia:2022/12/3
現地説明板(富山市教育委員会)
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タグ:富山