城巡りで訪問した富山県で、貴重な国宝建築物を見学させて頂きました。
<瑞龍寺>ずいりゅうじ
堂々とした佇まいの山門。ここは高岡市の瑞龍寺です。山門と仏殿、法堂が国宝となっています。
やや暗い画像で恐縮です。高岡城を訪問したあと、日が暮れるまでの僅かな時間でお邪魔させて頂きました。
<惣門>
この総門を潜ると冒頭の山門と仏殿、そして法堂が一直線に並んでいます。
<山門>
広く整然とした境内。真正面に山門、両脇には玉砂利が敷き詰められています。
<山門の金剛力士像>
山門には阿形・吽形の金剛力士像。悪しきものの侵入を許さないように両側から睨みをきかせています。楼上には釈迦如来と十六羅漢を祀ってあるそうです。
そして
<仏殿>
瑞龍寺は曹洞宗の寺院。本尊は釈迦如来です。
<法殿>
こちらには前田利長の位牌が安置されています。本来なら、古い建築物と美しい芝のコントラストが魅力のようです。私は薄暗いなかで撮影したため、この程度の画像となってしまいました。
瑞龍寺の建物は江戸時代初期を代表する禅宗建築と言われています。国宝に絞ってご紹介させて頂きましたが、他も重要文化財に指定されている貴重な寺院です。
実は、訪問した時は国宝を見たいという思いより、前田利家の後継者である利長ゆかりの寺院を訪ねたいという思いだけでした。建物の貴重さを実感したのは、現地に到着してからです。
<前田利長>まえだとしなが
こちらは瑞龍寺の近く(八丁道)で撮影した前田利長像です。あの前田利家の長男ですね。利長は父に代わって豊臣家五大老に名を連ねました。その立場で、徳川家康との関係も保つ必要がありました。苦しい板ばさみを乗り越えて、初代藩主として加賀藩の立場を確立した武将です。
その利長が、当時はまだ荒野に等しかったこの地に、新たな城を築いたことが、今日の高岡市の繁栄に繋がっています。
利長の死後、菩提をとむらうため、第2代藩主となった利常によって瑞龍寺は建立されました。(1614年)。利常は前田利家の四男です。利長にとっては腹違いの弟になります。利長には跡継ぎがいなかったため、利常を養子としたあと家督を譲りました。利長と利常の二人は、厳しい環境下で加賀百万石の礎を築いた名君です。
高岡城の南方に位置する瑞龍寺は、防衛の拠点としての性格を有していたとも言われています。高岡城は表向きは既に廃城となっていたのに、事情が複雑ですね。
利常はこの凄い寺院を一気に造り上げた?わけではなく、完成までに約20年もの歳月を費やしたそうです。加賀前田家ゆかりの古刹、そして建築物が国宝という寺院。高岡市の瑞龍寺は、富山県のみならず、北陸を代表する寺院のひとつです。
■訪問:高岡山瑞龍寺
[富山県高岡市関本町]35
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■参考
・Wikipedia:2024/1/6
・とやま観光ナビ
「国宝 高岡山瑞龍寺」
https://www.info-toyama.com/attractions/21009
・国宝高岡山瑞龍寺 公式HP
https://www.zuiryuji.jp/
2024年01月07日
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