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出羽の虎将・最上義光 (山形城) [2017/10/17 22:50]
(山形城訪問の追記です) 今回は 出羽国の小勢力から始まり、全国有数の大大名となった最上義光のご紹介です。 <最上義光騎馬像> もがみよしあき 足二本で立つ騎馬像は珍しく、武勇で知られる最上義光らしい姿です。 私が説明すると感情が入りすぎて長くなるので、まずは「ウィキペディア」さんの一部をそのまま引用させてもらいます。 『最上 義光(もがみ よしあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名。最上氏第11代当主。出羽山形藩の初代藩主。伊達政宗..
最上家歴代当主の居城 山形城のなごり [2017/10/16 22:51]
つわものどもが夢の跡 最上義光の居城を訪ねました。 いきなりなんですが「よしみつ」なんて読まないで下さいね!「よしあき」です。 戦国武将ファンの間では有名ですが、世間一般の人気ではどうしても甥の伊達政宗に負けてしまいますね。知れば知るほど味があり、心が熱くなってしまう武将。そのなごりを感じるために山形市へやってまいりまた。 <山形城> ここは本丸の堀です。10月中旬の訪問となりましたが、紅葉の見ごろはもうちょっと先ですかね。でもいい感じです。この堀は一度..
出羽の歌会 兼続・慶次ゆかりの地 (高畠町)亀岡文殊 [2017/09/11 22:10]
戦国武将好きです。城跡巡りと並行して、お気に入りの戦国武将ゆかりの地を訪問したりしています。直江兼続と前田慶次にゆかりがあると聞き、山形県高畠町の亀岡文殊堂を訪ねました。 ■ 亀岡文殊 ■かめおかもんじゅ <正式名は大聖寺>だいしょうじ 亀岡文殊。京都の切戸(きれと)文殊・奈良の安倍文殊とともに「日本三文殊」の一つに数えられています。当然ですが、他は行ったことがありません。「知恵を授かれる」とのことで、合格祈願などで県外からわざわざ訪れる人も多いようです。そ..
伊達政宗生誕の城は?(米沢市)舘山城と米沢城 [2017/08/29 22:00]
伊達政宗といえば仙台というイメージが強いですね。しかし生まれは米沢。かつて米沢は伊達家の領地でした。政宗も多感な青年期を米沢で過ごしています。つまり故郷ですね。さて、ドラマや小説などでは「政宗は米沢城で生まれ・・・」とあり、私も長らくそう思っていました。ところが近年になって、新たな候補が現れています。 ■舘山城■ <舘山城>たてやまじょう [山形県米沢市舘山] 米沢市の南西部に位置する舘山城です。二つの川が合流する丘陵地に築かれた山城。米沢市の整備保存の働きか..
最後の城主・天童頼澄と守護神・喜太郎(天童城) [2017/08/28 22:18]
(天童城訪問記の追記です) 天童城最後の城主・天童頼澄(てんどうよりずみ)。周辺の国人と連携して一度は最上義光を退けたものの、それまで最大の味方だった延沢満延が調略により最上側へ寝返り、最後は城を追われることになりました(1584年)。頼澄は、母の実家の国分氏を頼って落ち延び、陸奥国に移り住みました。 ■陸奥国にコネ?■ 国分(こくぶん)氏は戦国時代の末頃まで陸奥国に勢力のあった一族。起源には諸説ありますが、平氏の流れをくむ千葉氏から枝分かれした士族のようです(..
天童と将棋駒 (天童公園) [2017/08/26 23:31]
将棋駒生産量の大半は天童といわれています。城巡りが目的で訪問しましたが、将棋も多少はたしなむので、以前から「天童の将棋」は意識していました。そもそもいつから始まったのでしょうか。 [天童公園(天童城跡)] ■始まりは天童織田藩■ 天童で将棋駒づくりが始まったのは江戸後期。藩主が織田信学(のぶみち)の時と言われています。当時の財政は厳しく、藩士たちも生活に困っていました。そこで、米沢の職人から将棋の駒を作る技術を学び、藩士たちの手内職として奨励。これが天童の駒..
天童城のなごり [2017/08/25 23:16]
つわものどもが夢の跡 最上氏一族である天童氏の居城跡を訪ねました。 <天童城中央郭虎口> 石碑は天童古城記念碑。背後には土塁が見えています。 天童城は天童市の東南に位置する舞鶴山(比高で百メートル強)に築かれた山城です。村上地方で最大だった山城は、現在「天童公園」として整備されています。 <曲輪と土塁> それにしても広すぎる・・・ 小さな山城だと、麓も含めて探索するのですが、ここはちょっと無理でした。厳密に言うと城は3つの山に跨っており、..
織田乃里(天童市)信長末裔の地 [2017/08/24 23:34]
<織田乃里> 風になびくのぼり旗にその文字を見つけ、しばらく足が止まりました。 ■織田信長末裔の地■ 信長本人も長男も討たれ、武家としての織田家はやがて消滅してしまったようなイメージありませんかね?。次男の系統は、藩主として明治維新まで存続。いろいろあって転々とし、最後は現在の山形県天童市に辿りつきました。画像は舞鶴山(天童城跡)へ向かう途中の坂。かなり遠くまでやってきたような感覚だったので、この光景にしばらく見惚れました。 ■天童織田藩■祖先は織田信雄 ..
上山藩武家屋敷のなごり(上山市) [2017/08/17 21:38]
観光スポットがたくさんの山形県上山市。城跡中心の当ブログでは「武家屋敷」をお勧めします。上山城のすぐ北側です。藩としても繁栄した上山。その時代の雰囲気を残す武家屋敷です。 ■上山藩武家屋敷■かみのやまはん [山形県上山市鶴脛町] あまりこういう経験はないので新鮮です。当時の武士の生活を忍ばせる4軒の屋敷。いい感じです。平屋でのんびりと、池のある庭などを眺めながら暮らす。住んでみたいですね。城から近いので通勤も楽。満員電車に揺られることもなく、ゆっくり歩いて帰宅。..
温泉宿場城下町の山城 上山城 [2017/08/16 21:44]
上杉と最上が激突した北の関ヶ原(慶長出羽合戦)。最上義光の居城・山形城の支城として上杉軍を苦しめた上山城(かみのやまじょう)。そのなごりを求めて、山形県上山市を訪問しました。二十四あったといわれる山形城の支城で、上杉軍の猛攻に屈しなかったのは長谷堂城とここ上山城だけです。 <現在の上山城> あれ、ちょっと立派過ぎるんですが! 堅城と呼ばれた中世の山城。私にとって、上山城とはそういう城。これは明らかに別の世界ですね。早々と廃城になった長谷堂城とは異なり、上山城..
北の関ヶ原・激戦の山城 長谷堂城 [2017/08/14 20:53]
関ヶ原の戦いと同じ日。遠く離れた北の大地でも、西軍と東軍が激しく戦っていました。 ■ 長谷堂城 ■ はせどうじょう <菅沢山から見た長谷堂城> 現在の山形市南部に位置する山城です。最上氏の居城・山形城にとって、防衛のための重要な支城の一つでした。歴史は古いものの、その存在が大きくクローズアップされたのは慶長出羽合戦の時。米沢から北上してくる上杉の大軍を、長谷堂城は最前線で受けとめました。 ■ 慶長出羽合戦 ■ 北の関ヶ原 慶長5年(1600年)に出羽..
鮭延秀綱の軌跡(鮭延城から鮭延寺) [2017/08/11 23:52]
戦国武将好きです。今回は鮭延秀綱(さけのべひでつな)について。ややマイナー武将ですが、知る人ぞ知る出羽の名将です。 ■旅の始まり■真室川町 <鮭延城跡> [山形県最上郡真室川町] 秀綱居城の入り口。山城です。 <山城探索> かなり「放っとかれた状態」でした。苔類がクッションになり、踏みつけるのが心苦しいくらいです。 中世末期、出羽国北部を支配した鮭延氏の居城です。築城時期は不明。真室川を望む高台にあり、別名は真室城。出羽の名将・鮭延秀綱の歴史..
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