タグ / 暗渠と城跡
記事
暗渠と城跡25 岩槻城大構え最南端の堀跡 [2020/07/28 22:21]
つわものどもが夢の跡
街ごと堀と土塁で囲んだ岩槻城総構え。今回はその最南端の堀跡と高台の話です。
■大構え■おおがまえ
城だけでなく、城下町も含めて外周を堀や土塁で囲んだ構造のことを総構え(そうがまえ)、あるいは総曲輪(そうぐるわ)といいます。小田原が有名ですが、ここ岩槻も同じ。岩槻では大構え(おおがまえ)と呼んでいますが、意味は同じです。現地での表示を見ると『え』は不要で『大構』で良いようです。
<岩槻城の縄張り>
岩槻城址公園で撮影しました。..
追記 元荒川の旧流路(暗渠と城跡22岩槻城の天然堀のなごり) [2020/07/24 22:44]
2ヶ月ほど前に、元荒川の旧流路に気づいて川跡を追った記事を投稿しました。
■投稿:2020年05月31日
■タイトル:暗渠と城跡22 岩槻城の天然堀のなごり
→『記事へすすむ』
■概要:
岩槻の龍門寺というお寺を訪問し、その近くで川跡の雰囲気を醸し出す空き地をみかけた。それは岩槻城にとっての天然堀・元荒川のむかしの流路だと分かった。
<川跡>
<龍門寺>
龍門寺[さいたま市岩槻区日の出町]
ざっとそんな内容でした。
----..
世田谷区に2つの城向橋(暗渠と城跡24) 橋跡に漂う城のなごり [2020/07/21 21:55]
今回は橋跡というだけで川のなごりと城のなごりが漂う場所の話です。
まずは
<城向橋>しろむかいばし
世田谷区豪徳寺の烏山川緑道です。緑道沿いには、暗渠化される前の川のなごりとして、複数の橋の名前が残っています。この橋跡もその一つです。
次に
<城向橋>しろむかいばし
こちらは世田谷区自由が丘の九品仏川緑道です。道と交差する地点に「城向橋」の標識があります。この道が川を渡るための橋が架けられていたのでしょうね。これも川のなごりです。
城向橋とは..
暗渠と城跡23 渋谷川と渋谷城 [2020/07/19 20:20]
都内にもあるつわものどもが夢の跡。今回の舞台は渋谷です。こんな若者の街に城跡が?と思われる方が大半かと思います。でも実際に存在していました。遠い昔、中世のことですが。
<渋谷城跡>
渋谷3丁目の金王八幡宮の一帯が渋谷城跡と推定されています。当ブログで二度目の投稿となりますが、今回はもうちょっと渋谷の地形を加味してご案内できればと思っています。
■現地訪問■
最寄り駅はJR渋谷駅。そもそもこの駅自体が『渋谷』という名が示す通り谷にあります。谷には川が流れ、複..
暗渠と城跡22 岩槻城の天然堀のなごり(元荒川の旧流路) [2020/05/31 06:05]
今回は岩槻城の天然堀だった元荒川の話です。
この日は岩槻の総構え(大構え)の更に外側を探索しました。画像は元荒川のかつての流路に位置する暗渠。水の姿はありませんが、この付近には川のなごりが漂います。
■暗渠■あんきょ
まずこの見慣れない文字を説明します。そのまま「あんきょ」と読みます。「地下に埋設された川や水路」という意味に受け取って下さい。蓋をされて人目につかなくなった水の流れ。まぁそんな感じです。
■総構え■そうがまえ
これは城の防衛施設の構造を..
暗渠と城跡21 北沢川と三宿城 [2019/10/14 21:33]
都内にもある城のなごり
今回は吉良氏が居城とした世田谷城の支城ではないかと伝わる三宿城跡を訪ねました。
<三宿の森緑地>みしゅく
それらしい光景?まるで曲輪を取り囲む土塁の跡のようですね。しかしこれは公園として整備されたもの。事前にお話ししておきますが、三宿城跡とされるエリアで遺構は確認できません。ここを真っ先にご紹介する理由は、高台に築かれたとされる城跡で、最も周辺との高低差を実感した場所だからです。
<丘の上>
柵の向こう側は崖状になっています。..
暗渠と城跡20 暗渠に感じる外濠のなごり(深谷城) [2019/07/21 21:18]
今回は暗渠の話です。といっても、少し城と関係しています。そんな話で良ければお付き合い下さい。
<暗渠>
今回のテーマです。
■暗 渠■
まずこの見慣れない字は「あんきょ」と読みます。毎回同じ説明になりますが「地下に埋設された川や水路」という意味に受け取って下さい。蓋をされて人目につかなくなった川や水路。まぁそんな感じです。
■城跡■
<深谷城跡>
今回訪問した深谷城跡です。
<石垣と城壁>
立派ですね。でもいわゆる遺構ではありませ..
越ヶ谷御殿跡 / 暗渠と城跡19 川の立体交差地点
[2018/11/03 23:18]
つわものどもが夢の跡
埼玉県の越谷市に用事があったついでに、以前から気になっていた場所を訪ねました。
越ヶ谷御殿跡
■御殿跡■
<石碑>
越谷市御殿町の元荒川沿いに設置されている石碑です。
<説明板>
ちょっと画像が悪く申し訳ございません。
越ヶ谷御殿は徳川家康によって設けられた御殿です。御殿とは、まぁ簡単に言えば将軍の別荘のようなもの。江戸近郊に出かけた際に利用する将軍家用の施設のことですね。越谷市には御殿町という住所が存在しますが..
暗渠と城跡18 谷戸の水と興国寺城
[2018/10/28 06:15]
(興国寺城の追記です)
<低地と山城>
[静岡県沼津市根古屋]
山麓の地形を利用して築かれた興国寺城。高台から低地へ降り立つと、見事な暗渠が続いていました。
深い谷戸から続く暗渠。奥の山が城跡です。
■ 暗渠と城跡 ■あんきょ
当ブログでは、都市化によって埋もれてしまった川と城を、「暗渠と城跡」と題して投稿させてもらっています。
コンセプトとしては
「暗渠に気付くアンテナがあると、街の中の城跡巡りが一層楽しくなる。川のなごりを感じることは、城の..
暗渠と城跡17 蛇崩川と弦巻砦 [2018/05/03 12:29]
つわものどもが夢の跡
今回の訪問は世田谷区の弦巻3丁目。ここにかつて世田谷城の支城があったと聞き、現地へ行ってきました。久しぶりに城跡巡りと暗渠巡り のダブルプレーです。
■弦巻神社■つるまきじんじゃ
<砦跡推定地>
[世田谷区弦巻]3-18-22
砦推定地。現在は神社です。
■現地訪問■地形を楽しむ
遺構は無いと聞いています。こういう時は地形を意識して行動。とりあえず最寄駅に到着。
<桜新町駅>
東急の桜新町駅で下車。よく通過します..
暗渠と城跡16 倉賀野の五貫堀川 [2018/03/09 23:18]
今回は城跡へ向かう途中のお話です。
■ 倉賀野 ■くらがの
高崎線の駅名にあるからでしょうか?当たり前に知っていた倉賀野という名。高崎市という認識もないまま「城のなごり」を求めて訪問しました。
私が事前に知っていることといえば、倉賀野が戦国時代における激戦区だったこと。そして、川沿いの段丘に築かれたこの地の城は、武田信玄の軍勢によって落とされたこと。それくらいですかね。まぁあとはかつて中山道の宿場町だったこと。他は訪問した後で調べればいいや・・・。そんな感じで、..
暗渠と城跡15 針ヶ谷陣屋跡 [2018/01/14 20:46]
つわものどもが夢の跡
「遺構がなさそうな」城跡巡り。旧与野市の館跡に続き、本日は旧浦和市の陣屋跡を訪ねました。また事前に言いますが、推定されている場所へ足を運んだ。そういう記録です。宜しければお付き合い下さい。
■三郎山の陣屋跡■
<針ヶ谷陣屋跡周辺>はりがやじんや
[さいたま市浦和区北浦和]2丁目
京浜東北線の北浦和下車。徒歩まぁ10分くらいでしょうか。
(北浦和駅からの道程)
東口を出て少し直進したら、北東に向かう道を進みます(県立浦和高校へ..
23区 上杉の町 上杉鷹山 中山道 伊奈一族 北陸街道 千葉 国宝 国宝天守 城用語 埼玉 宮城 富山 山形 山形への旅 岩手 岩槻街道 廃城 愛知 日光例幣使街道 日光御成道 日光脇往還 日光街道 日本100名城 暗渠 暗渠と城跡 東京 東海道 栃木 江戸城三十六見附 滋賀 石川 神奈川 福島 箱根旧街道 米沢詣で 群馬 茨城 行徳道 豊島一族 赤山街道 足柄道 道切り 鎌倉街道 長野 関東七名城 障子堀 青森 静岡