今回は暗渠の話です。といっても、少し城と関係しています。そんな話で良ければお付き合い下さい。
<暗渠>
今回のテーマです。
■暗 渠■
まずこの見慣れない字は「あんきょ」と読みます。毎回同じ説明になりますが「地下に埋設された川や水路」という意味に受け取って下さい。蓋をされて人目につかなくなった川や水路。まぁそんな感じです。
■城跡■
<深谷城跡>
今回訪問した深谷城跡です。
<石垣と城壁>
立派ですね。でもいわゆる遺構ではありません。
深い歴史の深谷城、公園として整備されているのは良いのですが、遺構はほとんどありません。そんな城跡で、唯一と言ってよい遺構が城の東側の外濠跡でした。
<富士浅間神社>
城跡の東側に鎮座する富士浅間神社です。この神社のある区画の東側が唯一の遺構である濠跡です。
<深谷城外濠跡>
現役の時はもっと深かったはずの濠跡です。埋められた上に保全のための加工もなされていますが、このラインが濠の最も東側だったことは間違いなさそうです。
<拝殿と参道>
拝殿を正面から撮影。画像の右手、方角だと東側に先ほどの濠跡が見えています。
ここでちょっと城全体の縄張り図をご紹介します。少しラフですが、大まかな把握にはちょうどいいと思われます。
<深谷城の縄張り>
本丸が島のようになっていますね。これでは渡れませんので、どこかに橋を設けたのでしょう。
で、注目すべきは城の東側、この図だと右側です。『東曲輪』又は『櫓』と表示されているあたりが富士浅間神社が鎮座する区画と思われます。ともに細長い半島のように突き出ていますね。ということは、外濠とされる側と逆側も、やはり濠ということになります。
<逆側>
外濠跡とは富士浅間神社を挟んで逆側です。幅広のコンクリ蓋が敷き詰めてありますね。この下はずばり水路でしょう。しかも濠跡を転用した水路。これに蓋がされている状態なのだと思われます。ということは、姿は見えなくても、この暗渠も濠跡と呼べるのではないでしょうか!!?
<暗渠と城跡>
力説しておりますが
私は学芸員とか研究者ではなく、城好きで暗渠にも興味があるというだけの会社員です。ですから、あくまでその程度の意見として受け止めて下さい。ただ、何となくそう思うという人と共有できれば幸いです。
そもそもが「だから何?」と言われてしまえばそれまでの話ですよね。ただ「そこに本来あったもの」を想像してみる。それも城跡の楽しみ方だと思っています。そのヒントとなるものが、位置的に説得力のある暗渠だった。今回はそんなお話でした。
拙ブログ、最後までお読み頂きありがとうございました。
■訪問:深谷城
[埼玉県深谷市本住町]
お城巡りランキング
2019年07月21日
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