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2018年11月03日

越ヶ谷御殿跡 / 暗渠と城跡19 川の立体交差地点

つわものどもが夢の跡
埼玉県の越谷市に用事があったついでに、以前から気になっていた場所を訪ねました。

越ヶ谷御殿跡

■御殿跡■
<石碑>
shirononagori282 (5).JPG
越谷市御殿町の元荒川沿いに設置されている石碑です。

<説明板>
shirononagori282 (6).JPG
ちょっと画像が悪く申し訳ございません。

越ヶ谷御殿は徳川家康によって設けられた御殿です。御殿とは、まぁ簡単に言えば将軍の別荘のようなもの。江戸近郊に出かけた際に利用する将軍家用の施設のことですね。越谷市には御殿町という住所が存在しますが、その全域が家康の御殿だったのではないかと考えられています。建造物に関する詳細は不確かながら、家康のみならず、二代将軍となった秀忠もこの地に宿泊し、鷹狩をしていた記録が残されているようです。

当時の移動手段を考えると、江戸から結構な距離だと思うんですがね。わざわざ来たんですね。どっかの会社の話ではありませんが、役職が上過ぎて暇だった?

いやいや、確かに鷹狩りもしましたが、領内の民情視察なども兼ねてあちこち行っていたようです。200年以上も続く幕府の基盤を造った人たちですから、かなり真剣だったのではないでしょうか。家康は江戸から始まる街道の整備にも力を入れました。ここ越谷は奥州街道の宿場となったことで、江戸時代を通して重要な場所となったわけですね。


■将軍家のなごり■
<久伊豆神社>
shirononagori282AD2 (1).JPG
越ヶ谷御殿跡からすぐ近くの久伊豆神社です。神社の紋は立ち葵(たちあおい)です。将軍家の御殿があったことから、葵紋の使用が特別に認められたとされています。この地が徳川将軍家と深い関係だったことの証ですね。

<長い参道>
shirononagori282AD2 (2).JPG
越谷の総鎮守とされている立派な神社です。見どころ沢山ですが、当ブログではこのくらいに。

<参道入口>
shirononagori282 (2).JPG
住所は越谷市越ヶ谷1700。越ヶ谷御殿跡からみて元荒川の対岸になります。


■御殿の解体■
将軍も宿泊する壮大な御殿が築かれたのが1604年。それから50年以上後の話になりますが、江戸の大火(1657年:明暦の大火)により江戸城が焼失した時、越谷の御殿は解体され、城の再建に利用されました。二の丸に移され、将軍の仮殿になったと伝わります。宿場町越谷の繁栄は続きますが、将軍の御殿はここで幕引きとなったわけですね。そして今では、地名と石碑が残るのみとなっています。

shirononagori282 (4).JPG

-------■越ヶ谷御殿■-------
建設年:1604年
解体年:1657年
[埼玉県越谷市御殿町]

ここで一旦終わります。


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暗渠と城跡

■川の立体交差地点■
以下はちょっとマニアックです。城跡好きですが、水路好きでもある者のヘンなこだわりですが、100人に1人でも共感頂けたら幸いです。

ご紹介させて頂いた『越ヶ谷御殿跡』の石碑、ちょっと変わったところに設置されていませんかね?

<石碑を後ろから撮影>
shirononagori282 (1).JPG
下は水路になっています。しかもこの水路、ここから地中に隠れます。つまり暗渠となっています。

暗渠
これは「あんきょ」と読みます。地下に埋設された川や水路という意味と思って下さい。

<元荒川>
shirononagori282AD.JPG
水路の行く手には元荒川が流れています。ということは、地中からどかでこの川に合流するのでしょうか?方角的には、そう思うのが自然ですよね。しかし実際は違います。

なんとこの水路
元荒川の川底より下を通過します。つまり、川と用水路が立体交差して交わらないようになっているのです。

越谷市によれば
『葛西用水は「瓦曽根溜井」と称され、江戸時代から川をせき止め、かんがい用水と
して利用されてきた。現在のように元荒川と分離されるまで、大沢の地蔵橋先の御殿町で元荒川と合流していた。』
[出典元:広報こしがやお知らせ版 平成29年(2017年)12月号]
とあります。この続きを私なりに要約すると、もともと豊かで綺麗だった水路の水は、昭和30年代の都市化により水質が悪化し、対策として用水の分離工事が施されたようです。

<葛西用水>
shirononagori282 (3).JPG
葛西用水の別名は逆川(さかさがわ)。この逆川をこの地点で元荒川の下を伏越樋管(ふせごしひかん)でくぐらせます。水が立体交差するわけですね。御殿町から柳町までの新な水路としました。今回ご紹介はこの地点だけですが、逆川には水が立体交差する場所がもう一か所あります。

<駅で撮影した地図>
sn282map.JPG
地図の左手中央。水路が消えて川を潜っている様子がわかります。

2つの水の流れが、交わらないで立体交差する。こういう構造に感動を覚えるのは、ちょっとヘンですかね?

■暗渠と城跡■
当ブログでは「暗渠と城跡」と題して、城の堀や付近の川が暗渠となっているケースを紹介してきました。ただ今回の暗渠は、屋敷跡とは直接関係がありません。目的地の目印とした石碑が、たまたま暗渠の上にあった。たったそれだけです。

とはいえ『城跡』と『暗渠』の両方に興味を持っている者にとっては、一度で二つも楽しめる大変貴重な場所。片方を目的に訪問した方が、当ブログがきっかけで、もう片方にも興味を持ってくれたら嬉しいです。

ということで
拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
posted by Isuke at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 暗渠と城跡
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