つわものどもが夢の跡
街ごと堀と土塁で囲んだ岩槻城総構え。今回はその最南端の堀跡と高台の話です。
■大構え■おおがまえ
城だけでなく、城下町も含めて外周を堀や土塁で囲んだ構造のことを総構え(そうがまえ)、あるいは総曲輪(そうぐるわ)といいます。小田原が有名ですが、ここ岩槻も同じ。岩槻では大構え(おおがまえ)と呼んでいますが、意味は同じです。現地での表示を見ると『え』は不要で『大構』で良いようです。
<岩槻城の縄張り>
岩槻城址公園で撮影しました。城の北側は天然の川として、南側については、城下町を取り囲むように堀が設けられています。これが大構です。
さて
今回のご紹介はその『大構え』の最も南側に位置する堀跡です。上の図だと南側が切れてしまっているので、画像を追加します。
ここが大構えの最南端の堀。堀は既に埋められて存在していませんが、すぐ上(北)の富士浅間神社を目印に、位置を確認することはできます。
<富士浅間神社>ふじせんげんじんじゃ
岩槻太田氏ゆかりの神社です。社殿は1991年に再建されたものです。
説明によれば、当神社は岩槻城主の太田氏が、城下で最も標高の高い当地に冨士山頂から神霊を勧請したことに始まるようです。
そもそもこの付近一帯が台地の上に位置しています。更に高台にある富士浅間神社の境内が、城下最高峰ということですね。
そして
地図にも記されていた通り、富士浅間神社の南側が大構えの堀です
こちらがかつての堀の現在の姿です。右手の斜面が富士浅間神社です。
すっかり埋められていますね。蓋をされた水路だけが、かつて水堀だったなごりをそれとなく留めています。大構の堀の内側は基本的には土塁。この地点においては、富士浅間神社が鎮座する城下最高峰の丘がその役割を担っていたのでしょう。岩槻城大構えの最南端にして、最も高い土の壁が立ちはだかった場所ということですね。
地図で堀がカーブしている地点
その先はしばらく直線だったわけですね
以上
岩槻城大構えの最南端の堀跡でした。岩槻を散策してみたいという人の参考になれば嬉しいです。
■訪問:富士浅間神社
[埼玉県さいたま市岩槻区府内]
お城巡りランキング
2020年07月28日
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