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境内水路のなごり(増上寺) 徳川秀忠の霊廟の水路跡 [2022/08/13 21:31]
増上寺のお隣の敷地でこんな光景と出会いました。 <水路跡> 水路跡?こんなところに? 場所は日比谷通り沿いのこちらの門の先になります。 <旧台徳院殿霊廟惣門>たいとくいんれいびょう 当ブログでも何度かご紹介させて頂いている徳川秀忠(=台徳院)の霊廟の惣門です。かつて増上寺にあった霊廟の多くは、東京大空襲で焼失しましたが、秀忠の霊廟への入り口となるこの門は難を逃れました。貴重な遺構ですね。重要文化財に指定されています。 <惣門の先> 惣..
徳川家の鬼門除けから始まった街中のお不動さん(神田) [2022/08/11 21:40]
今回は神田を歩いている時に出会ったお不動さんの話です。 <出世不動尊> あ、ここか… 出世不動尊の名は聞いたことがありながら、実物を目にするのは初めてでした。 <谷間> 何となく神社のような雰囲気ですが、不動明王を祀るお寺です。ビルとビルの間にきっちりと収まっています。 <出世不動尊の由来書> 予備知識がないのでこちらを参考にさせて頂きました 冒頭に『出世不動尊は、智証明大師の御作にして、東潮院不動尊と申し上げ、江戸城内一ツ橋徳川水..
関東郡代伊奈氏のなごり(中央区) 郡代屋敷跡 [2022/08/01 22:15]
<郡代屋敷跡>ぐんだいやしき 神田川に架かる浅草橋の南側には『郡代屋敷跡』と記された説明板がたてられています。 郡代といえば関東郡代の伊奈一族(とは限りませんが伊奈氏が有名)。古くから徳川家康に仕えていた伊奈氏は、家康が江戸城に移ってからは、関東の治水や新田開発、あるいは幕府直割地からの年貢の徴収といった裏方仕事で徳川幕府を支え続けました。 <説明板> せっかくですので、中央区教育委員会さんの説明文を以下に引用させて頂きます。『』内は原文そのままで..
浅草見附のなごり [2022/07/31 19:50]
街道の要衝に設けられた見附跡を訪ねました。 <浅草見附跡> 場所は浅草橋駅近く。神田川沿いです。いまでこそ石碑のみですが、かつては江戸城三十六見附の一つに数えられる見附が設けられていました。 <浅草橋> こちらは神田川にかかる浅草橋です。冒頭の石碑は、この橋のたもとといっても良い場所に設置されています。石碑はちょっと地味で、足を止める人はほとんどいません。わざわざ写真を撮っている私の方が目立ってしまいました。 <現地説明板> 旧浅草橋と題し..
八幡太郎義家が戦勝祈願した丘(浅草橋)銀杏岡八幡神社 [2022/07/30 21:00]
源義家ゆかりの神社を訪ねました。 <銀杏岡八幡神社>いちょうがおか この地は、源義家が奥州平定へ向かう途上で、休憩のために陣を敷いた場所とされています。この時、義家は川上から流れついた銀杏の枝を、小高い丘だったこの地にさし、勝利を祈願したそうです。このこのとが、この地に鎮座する八幡さまへと繋がっていくわけですが、詳細については、東京都神社庁ホームページの説明を下記にそのまま転記させて頂きます。 『奥州征伐のため下向の折、当地で休憩中川上より銀杏の枝が流れてき..
浅草橋の福井町(台東区)福井松平藩邸のなごり [2022/07/29 23:10]
<石碑> 福井松平藩邸跡と刻まれています この石碑は台東区浅草橋でみつけました。左側には福井中学校の文字。中学?そのなぞは石碑の下に記されている説明文ですぐに解けました。 こちらによれば『この地はかつて越前福井藩邸が置かれたことに由来して福井町と呼ばれ、明治35年に福井尋常小学校が置かれ』たとのこと。大正時代の関東大震災で木造校舎が全焼したり、昭和になって学び舎が復興されたりといった学校の歴史が紹介されています。昭和22年に福井中学校となり、平成3年に蔵..
神田橋門のなごり(千代田区)高架下の石垣 [2022/07/26 22:10]
今回は高速の高架下で見かけた石垣と江戸城の城門の話です。 <石垣> 城好きとしてはなんとなくいとおしい光景です <神田橋> 場所は千代田区の神田橋付近。冒頭の画像は日本橋川に架かるこの橋の上から撮影しました。かつてここには神田橋御門と呼ばれる江戸城の門がありました。いわゆる江戸城三十六見附の一つです。 <橋の近く> 橋のすぐそばの小さな公園に千代田区による説明板が設置されていました。 <説明板> 説明文によれば、ここは『芝崎口門..
新しくなった将門塚(大手町) [2022/07/23 21:25]
千代田区大手町の将門塚に久しぶりに訪問しました。 <将門塚碑> ここは平安時代の豪族・平将門の首を祀っている場所です。都の指定旧跡となっています。 2021年4月にリニューアルしました。私の訪問は2022年7月ですが、普段からよく管理されているせいか、まだ新しい感じがします。 リニューアル前と比べると、やや重厚感のようなものが薄れた気もしますが、以前にも増して凛とした空気が漂います。手を合わせる人たちの真剣さが、なおさら私にそう思わせたのかもしれま..
増上寺の土塀 [2022/07/23 21:05]
<築地塀>ついじべい こちらは芝増上寺の土塀です。土を厚く塗って固めた築地塀です 増上寺は何度も訪問していますが、壁に足を止めたのは初めてです。先日投稿させて頂いた熱田神社の「信長塀」を知ったことも影響しているのかもしれません。 こういった土壁は、江戸時代なら武家屋敷とか寺院などでよく見られたそうです。ただ明治以降は武家屋敷の多くが取り壊され、残った屋敷も震災や戦災の影響で姿を消しました。今となっては、街中でこういった塀を見られる場所は極めて少ないですね。増..
東京ガス本社の石垣 [2022/06/19 22:15]
今回は東京ガス本社の敷地に佇む石垣の話です。 立派です! 場所は港区海岸。浜松町駅から徒歩で5分程度と言った方が伝わり安いでしょうか。道路から既に石垣が見えています。 あくまで会社の敷地ですので、正面入り口は「関係者以外立ち入り禁止」となっています。ただ石垣がある辺りはこんな感じになっていて、来る者を拒んでいる雰囲気はありません。東京ガスさんのご厚意と思われますので、訪問する方はぜひ節度を守って頂きたいと思います。 さてさて ..
庭園の池と海をつないでいた水の路(芝離宮)  [2022/06/19 21:50]
今回は芝離宮の敷地外にある水路の話です 水路の側面には昔の石垣が残されています。しっかりと積まれた石垣を活かした上で、コンクリートで補強しているようですね。これは芝離宮に海の水を引き込むための水路の跡です。庭園内の池はいまでこそ真水ですが、かつては江戸湾とつなげることで、潮の満ち引きによる変化を楽しめるようになっていました。 周囲の開発の都合で、芝離宮の池はいまは海から遮断されていますが、かつての「潮入りの池」のための施しが、庭園の外側にこうして残されてい..
ビルに囲まれた城の痕跡(溜池櫓台跡) [2022/06/01 21:50]
<溜池櫓台跡>ためいけやぐらだいあと 銀座線の虎ノ門駅近くを歩いていると、こんな光景と出会えます。 ここにはかつて江戸城外堀の櫓台がありました。まぁ外敵に備えての見張り台とご理解下さい。名称にある通りで「溜池」方面を見張るための施設でした。 現地説明板によれば『1636年(寛永13年)に因幡鳥取藩(現在の鳥取県)藩主池田光仲によって構築された』という記録が残っているとのこと。岡山藩の池田家と同族という表現の方が伝わり安いですかね(ここは個人的な感覚です) ..

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