<水路跡>
水路跡?こんなところに?
場所は日比谷通り沿いのこちらの門の先になります。
<旧台徳院殿霊廟惣門>たいとくいんれいびょう
当ブログでも何度かご紹介させて頂いている徳川秀忠(=台徳院)の霊廟の惣門です。かつて増上寺にあった霊廟の多くは、東京大空襲で焼失しましたが、秀忠の霊廟への入り口となるこの門は難を逃れました。貴重な遺構ですね。重要文化財に指定されています。
<惣門の先>
惣門を過ぎると階段があり、登り切ってすぐのところに水路跡の評柱が設置されています。
<水路跡から見た惣門>
こんな所に水路?これはどういうことなのか?
<説明板>
水路跡と書かれた標柱が設置され、水路に関する説明が記されています。ただ、ちょっと色あせていて、画像では見えにくいですね。少し抜粋しながら要点だけをまとめさせていただきます(『』内は原文そのままです)。
まずこの大きな石ですが、『増上寺山内丸山に造営された台徳院-二代将軍徳川秀忠-霊廟の惣門前に構築された水路に用いられていたもの』とのこと。その実物ということですね。そして『石垣は平成14年(2002)に行われた発掘調査によって、この石列の真下、地下およそ8mの位置で発見されました。』とあります。つまりこの高さではなく、もっと低い位置に水路はあったわけですね。
移設された石材。ただし発掘されたのはこの地下ということになります
当時の様子については『かつて、旧御成道-現在の日比谷通り-から御霊屋への通路は、惣門手前でこの水路を渡りました。』そして『往時、水路には清らかな水が流れ、発掘調査では惣門手前に架けられていた橋台の一部も検出されました。』とのこと。
<惣門跡>
こちらは水路跡のお隣の惣門跡。いまは日比谷通り沿いに佇む惣門は、この位置だったということこのようです。惣門をくぐって参道を更に進むと、勅額門があったとされています。
ということは
<勅額門跡>ちょくがくもん
ありました。惣門より更に奥には、天皇直筆の額を掲げた門があったわけですね
もはやその姿を見ることはできませんが、壮大で雅な霊廟だったのでしょう。
ということで
かつてあった将軍の霊廟のなごり、そして惣門の前に築かれた水路のなごりの話でした。何もなくても、標識を建ててもらうだけで違った景色に見えたりしますね。
■訪問:
台徳院殿霊廟の水路跡
[東京都港区芝公園]4丁目
■参考及び出典
現地説明板
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