<東京美術倶楽部>
知る人ぞ知る東京美術倶楽部のビルが建っています。明治時代に美術品取引などを中心に活動を開始した東京美術倶楽部は、当初は料亭などを会場とし、のちに両国に拠点を構えました。しかし関東大震災で両国の社屋が倒壊すると、当時売りに出されていた芝の旧服部金太郎邸の土地(旧柳生但馬守上屋敷跡)、つまり現在の場所に移転したそうです[東京美術倶楽部ホームページより]。この服部さんは服部時計店(いわゆるSEIKO)の創業者ですね。
なるほど
で、柳生家の屋敷だったと分かるものは現地にあるのか?
ありません
立派なビルの佇まいに圧倒されるだけで、痕跡は一切ありません。隅っこの方に小さくても良いから、屋敷跡に関する説明板とか、石碑でもあれば良いのですがね。
<東京美術倶楽部ビル>
まぁそもそも、この付近はむかしは多くの武家屋敷が建ち並んでした場所です。どの敷地もたいていは〇〇家屋敷跡ということになります。それをいちいち気にはしていられませんが、先日たまたまこの付近の古地図を見る機会があったので、何となく意識が高まった上で訪問してみました。
先日見た古地図とは
<住友浜松町ビルのプレート>
こちらです。先ほどの東京美術倶楽部からそう遠くないビルに設置されている「芝神明町町屋跡遺跡」に関する説明板です。周辺の石材はこの付近で発掘されたものです。記されている港区教育委員会さんの説明文も良かったですが、この付近の古地図が印象に残りました。
<古地図拡大>
古地図を拡大させて頂きました。画像中央、有馬知四郎?(越前丸岡藩の有馬家と思われる)の左側、横向きになっている柳生但馬守(たじまのかみ)の文字がありますね。名とともに記されていいる笠の絵は、柳生但馬守の家紋・柳生笠です。まぁ正確には、正式な家紋にかえて用いる副紋ですが、その家のアイデンティティを表すものに変わりありません。柳生家は藩主として大和国柳生藩(奈良市柳生地区)を治めていましたが、石高で言えば1万石程度で、決して大きな藩とはいえません。特筆すべきは、やはり代々将軍家の剣術指南役を務めたことでしょう。
その上屋敷があった場所。古地図に話を戻すと、画像左手(西側)には増上寺の御成門が見えています。これは現在の地下鉄御成門駅付近。そして画像右側(東側)はかつての東海道で、現在の第一京浜です。将軍家の菩提寺である増上寺のすぐ近くで、更に交通の便の良いところに上屋敷を構えていたようです。
<御成門駅>
<第一京浜>
<東京美術倶楽部>
ということで
柳生藩柳生家の上屋敷跡の話でした。現地に痕跡はありませんが、あとから情報をかきあつめ、何となく納得しました。
■訪問:柳生但馬守上屋敷跡
(柳生藩柳生家上屋敷跡)
現況:東京美術倶楽部
[東京都港区新橋]6丁目19-15
■参考及び出典
Wikipedia:2022/8/15
住友浜松町ビルの説明板
東京美術倶楽部ホームページ
https://www.toobi.co.jp/about/history.html
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