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東京駅近くで感じる江戸城外堀のなごり(丸の内)八重洲北口 [2024/10/18 21:45]
東京駅のすぐ近くで城のなごりを感じてきました。 ここは東京駅八重洲北口から徒歩数分のところです。ただの植え込みと思って通り過ぎてしまいそうですが、よく見れば立派な石が積まれています。 これらはもともと江戸城の一部だったもの。江戸城外堀で使用されていた石材のようです。 設置してある説明板には、鍛冶橋門北方の江戸城外堀を発掘調査した際に出土した石材を移築再現したものと記されています。鍛冶橋門は現在の東京駅の南に位置する城門ですので、その北側ということは、..
地名に残る城門のなごり(内幸町)幸橋御門跡 [2024/05/19 21:25]
<内幸町>うちさいわいちょう こちらは都営三田線の内幸町駅。内幸町は港区の地名です。かつては大名屋敷が建ち並んでいたこの付近、江戸城幸橋御門の内側に位置していることが名の由来といわれています。 幸橋御門は、肥後国熊本藩主の細川忠利に築かれました(1636年)。将軍が増上寺に詣でる道筋にあたったため御成橋門ともいわれたそうです。 <幸橋御門跡>さいわいばしごもん 幸橋御門は1873年(明治6年)に取り壊され、遺構はありません。この付近(第一ホテル付近)と..
山下門跡(江戸城)外日比谷御門と呼ばれた城門のなごり [2024/05/18 21:45]
江戸城の山下門跡を訪ねました。 <山下門跡> この付近になります。山下門は江戸城の外濠に設けられた城門で、いわゆる江戸城三十六見附に数えられています。ただ現状はご覧の通りで、枡形の石垣など、ありし日を思わせるような遺構は存在しません。 ただし ガード下に説明板が設置されています。 <山下門跡説明板> こちらです。少し転記させて頂きます(『』内は原文)。 『山下門は、1636年(寛永13年)に高松藩(現在の香川県)藩主生駒高俊によって築造されま..
東京の大坂(北区)岩槻街道から板橋街道への抜け道 [2024/02/03 21:00]
北区の赤羽駅近くを歩いていたら、こんな坂道と出会いました。 <大坂>おおさか 大坂…東京の北区で? <標柱> 標柱に説明が記されています。そのまま抜粋させて頂きます。 『この坂は、赤羽駅西口から赤羽台団地へ登る坂で、古くから往来の多い坂です。昔は、赤羽から上の台に登り、旧板橋街道に抜ける坂でした。大坂の名は、その昔「小坂」と呼ばれた清瀧不動の石段に対するものとして付けられました。ここは、狸にまつわる民話が残っているところで、狸坂とも呼ばれます。ま..
強運の御神木(芝東照宮) [2023/12/23 22:45]
<大イチョウ> 芝東照宮の大イチョウです。徳川家光が植樹したと伝わる神木です。説明板によれば推定樹齢は350年。それ以上というお話も耳にします。都の天然記念物に指定されています。 <芝東照宮> 芝東照宮は日光・久能山・上野と並ぶ四大東照宮のひとつとされ、もともとはかなり豪勢な造りでした。しかし東京大空襲により社殿は焼失。現在の社殿は1969年に再建されたものです。それだけ大きな被害を受けた時でも、御神木の大イチョウは無事でした。 強運の御神木 <..
上野東照宮 震災も戦火もくぐり抜けた強運の社殿 [2023/12/17 22:25]
東照大権現とは、徳川家康が亡くなったあとに贈られた神号のこと。権現とは、神仏が人という仮の姿でこの世に現れる事を意味します。2023年の大河ドラマ「どうする家康」では、3代将軍となる家光の乳母・春日局が、家康を指して「神の君」と呼んでいました。その言葉通り、家康は死後に神として崇められました。 <上野東照宮> 東照宮は東照大権現、つまり神格化された徳川家康を祀る神社です。家康の死後、徳川家と関係の深い大名家が競うように建立したため、東照宮そのものは全国に多数ありま..
赤坂の勝海舟邸跡(勝安房邸跡) [2023/05/16 21:30]
港区赤坂でこんな光景と出会いました <勝海舟と坂本龍馬> いうまでもなく、師弟関係ですね この地は勝海舟屋敷跡とのこと。もっとも、勝海舟はたびたび引っ越しをしましたので、そのうちのひとつということになります。 <説明板と石碑> 勝安房邸跡と題して説明がなされています。安房(あわ)とは官位に由来する呼び名ですね(幕末に安房守(あわのかみ)を名乗ったため)。維新後は安房から安芳に代えたことから、 石碑の方は勝安芳邸址と刻まれています。 説明文を..
喰違見附のなごり(千代田区) [2023/03/29 23:00]
今回は見附の土塁を意図的に前後にずらして築いた虎口のなごりの話です。 <喰違見附跡>くいちがいみつけ ただの道?まぁそうなんでが、奥の土塁が江戸城外郭門のなごりです。もうちょっと接近してみますかね。 <喰違虎口>くいちがこぐち 虎口とは入口のことで、ここは江戸城の内側へ進むための入口ということになります。左手前の土塁と右奥の土塁が前後にズレて築かれていること、伝わりますでしょうか?通り道をジクザクにすることで、直進を阻む効果があります。江戸城は近世城郭..
見附跡の春(千代田区)牛込見附 [2023/03/29 21:14]
<牛込見附跡>うしごめみつけ 牛込見附はいわゆる「江戸城三十六見附」のひとつ。江戸城から神楽坂などを経由して板橋方面に向かう道筋に目を光らせる役割を担いました。 <石垣> 石垣はそのなごりということですね <説明板> 親切な説明がなされています。石垣に関するところを抜粋させて頂くと『江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部です。 江戸城の外郭門は、敵の進入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、足元の図のように二つの門を直角に配置した「枡形門」..
小石川橋(千代田区)江戸城外郭門のなごり [2023/03/26 22:30]
今回は神田川に架かる橋の話です。 <小石川橋> ただの橋?ではありますが、ここはもともと江戸城の城門が設けられていた地点です。 <説明板> こちらに詳細が記されていますので、以下に転記させて頂きます。 『江戸城外郭門のひとつ。小石川門は、1636年(寛永13年)岡山藩(現在の岡山県)藩主池田光政によって築造されました。明治維新後、枡形石垣は1872年(明治5年)に取り壊され、その石材を利用して1877年(明治10年)に日本橋川下流の常磐橋の石橋が建造..
辻斬りの犠牲者の霊を供養する石塔(池袋)池袋四面塔尊 [2023/03/12 21:41]
池袋駅東口の線路沿いの公園には、辻斬りの犠牲者の霊を供養する石塔が建っています。 <池袋四面塔尊>しめんとうそん こちらです ちょっと見えにくいですが。石塔の正面には南無妙法蓮蕐經と刻まれています 内部には池袋四面塔尊奉賛会さんによる『四面塔尊の由来』が掲示されています。画像では文字が見えにくいですが、内容は下記の通りです(誤字等ありましたら申し訳ございません)。 『享保の頃(徳川幕府八代将軍吉宗の頃)高田雑司ヶ谷と板橋を結ぶ街道と礫川と..
明暦の大火供養塔(巣鴨)本妙寺 [2023/03/04 23:45]
江戸の大半を焼いたとされる明暦の大火。炎は2日間にわたって燃え続け、江戸城の外堀内をほとんど焼き尽くしました。火元については諸説ありますが、一般的には本郷丸山(文京区本郷5丁目)の本妙寺とされています。のちに豊島区巣鴨へ移った本妙寺の境内には、明暦の大火の供養塔があります。 <明暦の大火供養塔> こちらです 明暦の大火の死者は約10万ともいわれています。城下より高台にある江戸城も例外ではなく、徳川幕府の権力の象徴ともいうべき天守もこの時に焼け落ちました。..
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