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赤山街道大宮道のゴール地点(さいたま市西区) [2022/08/07 23:20]
久しぶりに永田陣屋跡を訪ねました <永田陣屋> 徳川家康の古くからの家臣・伊奈忠次が設けた陣屋跡です。忠次は荒川水系の治水と灌漑のために、ここに拠点を築いたとされています。 前回は純粋に陣屋跡として訪問しました。今回は赤山街道のゴール地点であることを意識しての再訪となります。 <赤山街道> 一見ただの道路ですが、古くからある街道です。冒頭の陣屋を築いた伊奈忠次から、幕府領を管轄する役割を引き継いだ伊奈忠治により造られました。人の往来や物資輸送を円滑に..
伊奈半左衛門の陣屋跡と伝わる丘(御屋敷山)円阿弥陣屋 [2022/01/17 22:20]
つわものどもが夢の跡 関東郡代伊奈氏の陣屋があったと伝わる場所を訪ねてみました。最初に言っておきますが、遺構はなく、石碑や説明板といった目印もありません。そんな内容でよければお付き合いください。 <台地の縁> 大宮台地から鴨川沿いの低地へ向かう地点です。この付近に伊奈半左衛門の陣屋があった伝わります ■赤山街道大宮道■ 伊奈氏が自らの拠点である赤山陣屋と各地をつなぐために築いた赤山街道。時を重ねた現在も、道路として活かされています <埼玉県道1..
赤山陣屋近くの古刹(川口市安行)興禅院 [2022/01/09 00:01]
関東郡代伊奈氏が160年以上にわたり拠点とした赤山陣屋跡の近くに、深い歴史が刻まれ、いまでは観光名所としても名高いお寺があります。 <興禅院山門> 1546年開創という古いお寺です <曹洞宗興禅院> 曹洞宗の寺院。山号は瑞龍山 <門前の小僧さん> ひっそりと佇む山門の右手には小僧さん <鐘楼> <本堂> 大正9年(1920)に再建された本堂。本尊は釈迦如来坐像 <参道> ご紹介の順番が逆になりますが、こちら..
曲輪という名のバス停(川口市) [2021/12/29 23:45]
川口市には曲輪という名のバス停があります。読み方は「くるわ」です。 <バス停留所> バス停の住所は川口市赤山。曲輪は地名そのものではありません。 城に詳しい方は別として、一般的には何を意味しているか分かりにくいですよね。曲輪とは、お城の区画をさす言葉です。分かり安い例で説明すると、お城の中心となる曲輪のことを本丸、次に重要な曲輪を二ノ丸と呼んだりします。曲輪がお城の区画を表していること、何となく伝わりましたでしょうか。同じ読み方で「郭」と書く場合もあります。..
赤山街道の起着点 赤山陣屋の四ツ門 [2021/12/29 23:23]
幕府領を管轄する役割を担った伊奈忠治が、新田開発や河川改修のための物資輸送のための道として整備した赤山街道。道のりからそれぞれ大宮道・千住道・越谷道と呼ばれる街道は、全て伊奈忠治の陣屋と繋がっています。 <赤山陣屋跡> 伊奈忠治が築いた陣屋跡 <説明板> 伊奈氏と赤山陣屋についての説明文と縄張り図が記されています。一部抜粋させて頂くと『伊奈半十郎忠治が、元和4(1618)年頃に在地支配と開発事業の拠点とするために築いたと言われています。以来、10代忠尊..
赤山街道 八丁堤のなごり(追記)八丁橋たもとの説明板 [2021/12/25 23:55]
赤山街道の八丁堤付近を通過する時に見かけた説明板の内容を追記させて頂きます。 <芝川と八丁橋> 伊奈忠治が築いた八丁堤が破られ、見沼田んぼの開発が始まったことを象徴する場所です。この橋のたもとに、八丁堤を詳しく紹介した説明板が設置されていました。 <説明板> さいたま市による説明です。以下(『』内)に転記させて頂きます。 八丁堤 『八丁堤は、関東郡代の伊奈半十郎忠治が築いた人工の堤ある。この堤は、長さが八町(約八七〇メートル)ほどあるのでそ..
赤山街道 八丁堤のなごり(追記)附島氷川女体神社 [2021/12/25 23:21]
かつての赤山街道を探索中に立ち寄らせて頂いた附島氷川女体神社について、追記させて頂きます。 <附島氷川女体神社>つきしま 現在の県道103号線に面した高台に鎮座する附島氷川女体神社 <鳥居> <覆屋と本殿> 小規模な社殿とこじんまりとした境内。覆屋内部の本殿は市指定有形文化財となっています <奇稲田姫命>くしなだひめ 御祭神は奇稲田姫命。稲田の女神です。ヤマタノオロチ(八岐大蛇)の生贄になるところをスサノオノミコト(素戔嗚尊)に救..
赤山街道 八丁堤のなごり [2021/12/25 22:00]
今回は台地と台地の谷間を通過する赤山街道の話です。 <附島氷川女体神社>つきしまひかわにょたい 盛られた土の上に鎮座する神社です。この日の探索を象徴する景色でした。 ■東浦和駅から川口市まで■ まずは 東浦和駅付近を通過する赤山街道です。 <東浦和駅前> 向こうへ進むほど谷になっています。赤山街道はここまでは台地の上でしたが、この先で低地へ向かいます。むかしは沼あるいは湿地帯だった場所です。どうやって道を通したのでしょうか <低い場所> ..
赤山陣屋への道(東浦和)赤山街道沿いの大間木氷川神社 [2021/12/18 22:30]
今回は東浦和付近で赤山街道を歩いてみた時の記録です。 <大間木氷川神社>おおまぎ こちらは東浦和の大間木氷川神社です。 <参道> 凛とした雰囲気 <御由緒> 創建年代は不詳ながら室町期までさかのぼると推測されているようです。 <拝殿> <本殿> 本殿は市指定有形文化財です。寛文7年(1667年)に、本社である武蔵一宮氷川神社の旧本殿を譲り受けたものとのこと。平成になって火災で損傷したものの、修復されて現在に至っています..
赤山街道の景色(浦和区上木崎・領家) [2021/12/14 22:59]
今回は浦和区の上木崎・領家付近を通過する赤山街道の記録です。 <上木崎大けやき公園> 右手は公園、歩道と道路、そして住宅。ごく当たり前の景色です <説明板> 公園の敷地に説明板が設置されています <赤山街道> この道が赤山街道である旨の説明がなされています。赤山陣屋へつながる赤山街道は坂がなく、これが年貢などを運ぶのに都合が良かったようです。地形を吟味して道筋を選び、物資の運搬に無理のない道を作ったわけですね。 そう言われてみれば..
六国見(浦和区上木崎)赤山街道と中山道が出会う場所 [2021/12/13 22:20]
さいたま市内の「赤山陣屋への道」を訪ねてみた記録です。 <六国見>ろっこくみ JR与野駅の近くに『中山道と六国見』と題した説明板が設置されています。住所だと浦和区上木崎になります。 <説明板> 説明文によれば『中山道と赤山道が交差するこのあたりには立場茶屋があり、文化二年(1805年)刊の「木曽路名所図会」には「富士・浅間・甲斐・武蔵・下野日光・上州伊香保などがあざやかに見えたり」とあり、関東六国の山々を見渡せる見晴らしの良い名所としてしられ「六国見」..
与野を通過する赤山街道(中央区本町東から下落合) [2021/12/13 07:00]
赤山街道がさいたま市内を流れる鴻沼川を渡り、更に東へ向かう道のりを歩いてみました。 <赤山街道> [中央区本町東4丁目] 赤山街道とは、徳川幕府から関東の開発を任された伊奈忠治が、自らの拠点である赤山陣屋と現場との往来を円滑にするために設けた道のことです。今回の訪問地は、現在のさいたま市西区と川口市赤山をつなぐ「大宮道」と呼ばれる区間の一部で、さいたま市中央区(旧与野市)付近です。赤山橋を渡り、そのまままっすぐ進んで与野中央通りを通過すると、JR埼京線の高架..
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