今回は東浦和付近で赤山街道を歩いてみた時の記録です。
<大間木氷川神社>おおまぎ
こちらは東浦和の大間木氷川神社です。
<参道>
凛とした雰囲気
<御由緒>
創建年代は不詳ながら室町期までさかのぼると推測されているようです。
<拝殿>
<本殿>
本殿は市指定有形文化財です。寛文7年(1667年)に、本社である武蔵一宮氷川神社の旧本殿を譲り受けたものとのこと。平成になって火災で損傷したものの、修復されて現在に至っています。素敵な神社ですね。
そして
<説明板と道路>
こちらは冒頭の鳥居近くに設置されている説明板、そして境内をかすめるような車道。お察しの通り、一見すると普通の道としか思えないこの道筋が赤山街道です。
<埼玉県による説明板>
赤山街道に関する説明が記されています。この説明だと、旧浦和市内の赤山街道は『木崎・三室・尾間木地区から八丁堤を通って』現在の川口市赤山に繋がるルートとのこと。ここ大間木(=尾間木)もルート上の通過点ということですね。
ちなみに
八丁堤とは、赤山街道と同じく伊奈忠治が築いた人工の堤のことです。灌漑用の貯水沼(見沼の溜め井)を造り出すために築かれました。大間木(=尾間木)を通過した赤山街道は、八丁堤の上を経由して赤山陣屋へ向かう道のりだったようです。
<赤山街道>
同じ景色も、意味を知ると違ったふうに映りませんかね。当ブログに来て頂いた方と、そんな感覚を共有できれば幸いです。
■訪問:大間木氷川神社
[埼玉県さいたま市緑区東浦和]5丁目
------■赤山街道とは■------
赤山街道とは、徳川幕府から関東の開発を任された伊奈忠治が、拠点である赤山陣屋と現場との往来を円滑にするために設けた道のことです。道筋によって大宮道・越谷道・千住道の3つに分類されます。大宮道は、現在のさいたま市西区の永田陣屋と、川口市の赤山陣屋をつなぐ道を指します。
<永田陣屋跡>
[さいたま市西区土屋]
<赤山陣屋跡>
[埼玉県川口市赤山]
お城巡りランキング
2021年12月18日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11150260
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック