幕府領を管轄する役割を担った伊奈忠治が、新田開発や河川改修のための物資輸送のための道として整備した赤山街道。道のりからそれぞれ大宮道・千住道・越谷道と呼ばれる街道は、全て伊奈忠治の陣屋と繋がっています。
<赤山陣屋跡>
伊奈忠治が築いた陣屋跡
<説明板>
伊奈氏と赤山陣屋についての説明文と縄張り図が記されています。一部抜粋させて頂くと『伊奈半十郎忠治が、元和4(1618)年頃に在地支配と開発事業の拠点とするために築いたと言われています。以来、10代忠尊が改易された寛政4(1792)年までこの地に存続しました』とのこと。本丸と二の丸だけでも約110,000u、周囲の家臣持ち分の区画なども含めると約770,000uにも及ぶ広大なものだったことも記されています。代官の拠点であることから陣屋と呼んでいますが、城といった方がしっくれするかもしれませんね。
左側の地図には曲輪の配置とともに、赤山街道が記されています。ちょっと見えにくいので画像を拡大させて頂きます。
<縄張り図の拡大>
加筆させて頂きました。赤い〇印が陣屋の出入り口で、赤山街道の起着点になります。
陣屋の西側には赤山街道大宮道の新町口、南側には二手に分かれて陣屋とつながる赤山街道千住道の鳩ヶ谷口と安行口、そして東側には赤山街道越ヶ谷道の越ヶ谷口と記されています。赤山陣屋の四ツ門です。
このうち、鳩ヶ谷口は赤山陣屋の表門です。そこへ繋がる道を千住道とは切り離し、鳩ヶ谷道とする記載もありますが、私は一般的な分類にならって千住道として受け止めたいと思います。
ということで
全ての赤山街道にとっての起点であり終着点である赤山陣屋の出入り口(四ツ門)の紹介でした。
■訪問:赤山陣屋
[埼玉県川口市赤山]
■参考及び抜粋
現地説明板
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2021年12月29日
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