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前田利家ゆかりの地(金沢)尾山神社 [2023/10/28 22:35]
戦国武将・前田利家が祀られている神社を訪ねました。
<尾山神社>おやまじんじゃ
創建は1873年(明治6年)です。前田利家が没したのは1599年(慶長4年)ですから、相当あとの話になりますね。この当時、各地で藩祖又は藩主を祀る神社が流行りとなっていました。尾山神社の創建も、そういった世の中の風潮に乗ったものだったようです。それまで前田利家の霊が祀られていた卯辰八幡社は、尾山神社建立を境に宇多須神社となりました。
<鳥居>
堂々とした鳥居は日本風ですが…..
暗渠と城跡36 金沢城の外堀を潜った導水路のなごり [2023/10/28 21:05]
今回は、台地上に築かれた金沢城に水を供給した用水の話です。市内を散策中にこんな光景と出会いました。
<石管と説明板>
なんだろう
説明板には、金沢市内を流れる辰巳用水と、石管に関する説明が記されています。少し抜粋させて頂きながらご紹介します(『』内は原文の転記です)。冒頭に『寛永八年四月(一六三一年)に城下から出火、当時水利の便に悪かった金沢城が全焼した』とあり、これが用水を造るきっかけとなったと記されています。この惨事に対し『翌九年に三代藩主前田利常は十キ..
雪の貯蔵庫のなごり(金沢市)尾山神社氷室跡地 [2023/10/22 21:36]
前田利家を祀る尾山神社へ向かう途中、通りから石垣と石柱が見えたので、立ち寄ってみました。
<尾山神社氷室跡地>
氷室跡地?ここに氷の備蓄庫があったということかな
<通りから撮影>
奥まった平らな区画に木が生い茂り、陽も当たらなそうな空間だったので「氷室に相応しい場所に思えなくもない」と漠然と受けとめ、現地を去りました。
あとから調べてみると、かつての金沢には、城内にも城下にも、あちらこちらにも氷室が存在していたようです。私が目撃したのは、その一部..
高山右近ゆかりの地(金沢市)伴天連屋敷跡 [2023/10/21 21:18]
金沢城の北西側には、かつて宣教師の屋敷があったと伝わります。
<伴天連屋敷跡>バテレン
金沢城下にあった伴天連屋敷跡に関する説明板と甚右衛門坂の名を記した石柱です。
まずは説明板の内容を転記させて頂きます(『』内は原文のまま)。
『金沢城西側と城下をつなぐ坂の下周辺には伴天連屋敷(宣教師屋敷)が集まっていたと伝わる。丹波国守護代内藤家出身の内藤如安や宇喜多秀家に仕えていた浮田休閑など、右近を頼って金沢に来たキリシタン武将や加賀藩士が集まっていたのであろ..
武士の家計簿の舞台(金沢市)加賀藩御算用場跡地 [2023/10/21 20:40]
金沢市内の尾崎神社へ向かう途中、ごく普通のビルの前に説明板が設置されていることに気付きました。
<説明板>
何だろう?
<加賀藩御算用場跡地>
御算用場?もしやあの…
加賀藩の御算用場は、堺雅人さん、仲間由紀恵さん主演の「武士の家計簿」の舞台となったところです。磯田道史原作のベストセラーを森田芳光監督が映画化し、大ヒットしましたね。観たことがない人でも、宣伝などで名前くらいは耳にしているのではないでしょうか。
説明板によれば『加賀藩における..
豪姫ゆかりの地(金沢市)豪姫住居遺址 [2023/10/17 20:30]
金沢市の黒門前緑地で豪姫に関する説明板を目にしました。
<豪姫住居遺址説明板>
ここはあの豪姫の屋敷跡なのかぁ
詳細が記されていますので、以下に転記させて頂きます。
『Go-Hime was the fourth daugther of Maeda …』
はい
ちょっと撮影に失敗してしまいました。転記も和訳も厳しいので、いつも通り奥の日本語版にします。
『豪姫は一五七四年(天正二)、加賀藩藩祖・前田利家とお松の方との四女として誕生したが、豊..
現存する金沢城のなごり(金沢東照宮)尾ア神社 [2023/10/15 22:05]
金沢城公園の北西に鎮座する尾ア神社にお邪魔させて頂きました。
<尾ア神社神門>おさきじんじゃ
社号のお隣に葵の御紋
<拝殿>
大きな神社ではありませんが、朱塗りや彫刻や飾り金具が施された豪華な社殿です。
瓦にも扉にも葵の紋が記されているこの神社は、加賀藩の第3代藩主となった前田光高が、金沢城内に東照三所大権現社として建立したことに始まります。光高は藩祖・前田利家の孫であると同時に、徳川家康のひまごでもあります(母が徳川秀忠の娘・珠姫です)。
..
普通の道にしか見えない堀跡(金沢市)暗渠と城跡35 西内惣構のなごり [2023/10/14 22:10]
金沢市内には、藩政時代に造られた用水が、網目のように張りめぐらされています。その一部は、金沢城総構えの堀、つまり城下町防御の役割を兼ねていました。
<西町藪ノ内通>にしちょうやぶのうちどおり
ここは交通量の多い国道157号と並行する裏通り。何の変哲もない道ですが、ここにもかつては堀の役割を担った用水がありました。地下に埋設、つまり暗渠化されて地表からは姿を消しましたが、この道そのものが、そのまま用水の流路なのです。
別な言い方をすると、ここが「西内惣構堀」と..
総構えの堀にも利用された用水路(金沢市)鞍月用水 [2023/10/14 21:55]
城下町金沢には、天然の川から引き込んだ用水が、網目のように張りめぐらされています。用水は防火や消雪、排水など、ひとの暮らしを支える重要な役割を果たしてきましたが、一部の区間では、金沢城総構えの堀の役割も担っていました。
<鞍月用水>くらづきようすい
画像は市内を流れる鞍月用水です。築造された時期ははっきりしませんが、市内最古といわれる大野庄用水とともに、江戸時代の初期には完成していたと考えられています。諸説ありますが、二代藩主・前田利長が、城下の防備を目的に高山右..
庭付き一戸建ての足軽さん(金沢市)足軽資料館 [2023/10/14 21:15]
長町武家屋敷跡を訪問した際に、近くの足軽資料館にお邪魔させて頂きました。
無料で見学できます
長町武家屋敷跡は中級以上の藩士が暮らした町。こっちは足軽のコーナーですからね。こういっては失礼ですが、ちょっと立場が違います。
ではお邪魔します
え?
なんで?
すみませんが、足軽といえば臨時の歩兵。勝手ながら、予想していたのは板張りの質素な共同住宅。足軽長屋です。ここは一軒家ですよね?
しかも庭付き
実は
加賀藩..
武家屋敷のなごり(金沢市)長町武家屋敷跡 [2023/10/11 22:25]
武家屋敷のなごり漂う観光スポットを訪ねました。
<長町武家屋敷跡>ながまち
金沢市の人気スポットです。情報はネットに溢れていますので、気になった画像だけ貼っておきます。
むかしを思わせる土塀や石畳の小路。繁華街のすぐ近くとは思えない落ち着いた雰囲気です。
少しだけ迷路のよう。曲がりくねった細い道は、外敵に見渡されないためですね。藩士の単なる住宅地ではなく、城下を守るための工夫が施されています。
さすがは加賀百万石の城下町ですね。そして..
城郭の建築材運搬から始まった水路(金沢市)大野庄用水 [2023/10/08 23:05]
金沢市の観光地として有名な長町武家屋敷跡を訪ねる途中で、風情のある水路に足が止まりました。
<大野庄用水>
いい感じだなぁ
城下町金沢には多くの水路がありますが、こちらの大野庄用水はそのなかでも最古のものだそうです。
始まりは金沢城築城と深く関係しています。城の建築材の運搬のために造られたそうで、戦国時代末期には開通していたようです。ということは、400年以上の歴史があるわけですね。伝承では、前田利家の家臣・富永佐太郎が開削したとされています。
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