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お見舞いを申し上げます(令和6年能登半島地震) [2024/01/03 22:00]
石川県で震度7を観測した能登半島地震の発生から3日目となりました。亡くなられた方々に心からのお悔やみを申し上げるとともに、被災された方々にお見舞いを申し上げます。
<金沢駅前>
普段は仕事に追われていますので、年末年始は毎日ブログを更新するつもりでした。しかしそのような浮ついた気分は吹き飛ばされ、自然の脅威を実感する正月となりました。
<金沢城>
2023年10月から11月にかけて、金沢城について投稿させて頂きました。今回の地震で石垣の一部が崩..
金沢城のなごり [2023/11/25 23:15]
つわものどもが夢の跡
加賀百万石の居城を訪ねました。
<金沢城>
ひときわ目をひく五十間長屋
■ 城のはじまり ■
金沢城といえば加賀前田家の居城ですね。ただ、城が築かれた丘の軍事利用は、それよりずっと以前、加賀一向一揆の拠点が築かれた時(1546年)から既に始まっていました。あくまで浄土真宗の寺院(金沢御堂)でしたが、二本の川に挟まれた台地上という地の利に加えて、堀や石垣を廻らすことで要塞と化しており、ほぼ「城」だったと伝わります。
このほぼ「城..
河北門(金沢城)本格的な防衛ラインの枡形門 [2023/11/23 20:55]
広大な金沢城にあって、ここより先が本格的な防衛施設と実感する場所があります。
<河北門>かほくもん
三の丸の虎口に設けられた河北門です。石川門、橋爪門と共に、金沢城三御門と呼ばれる重要な城門です。
金沢城は北側が大手口です。そこから金沢城公園へ入って「いよいよ金沢城に入ったなぁ」と実感するのが新丸と呼ばれる広々とした曲輪です。
<新丸広場>しんまる
広いです。この曲輪は、前田利長が城を拡張した時に造られました。現在は広場として設備されています..
雁木坂跡(金沢城)橋爪門から御殿へ向かう石段のなごり [2023/11/19 21:20]
<雁木坂>がんぎざか
二の丸の正門である橋爪門を通り抜けたところで撮影しました。
<説明板>
城にはありがちな段差と思って素通りしそうになりましたが、説明板が設置されていたため足が止まりました。
<説明板拡大>
以下は説明文です[『』内原文]。
『このあたりには、橋爪門続櫓に接する雁木坂と呼ばれる石段がありました。橋爪門二の門を抜けると御番所と石垣台に仕切られた広場があり、そこから右手の雁木坂を登ると、石畳、そして二の丸御殿の玄関へ至ります。』..
城の中核を担った二の丸の正門(金沢城)橋爪門 [2023/11/19 21:10]
加賀前田家の居城・金沢城で、最も格式の高い門とされるのが橋爪門です。
<橋爪門>はしずめもん
立派です。ここは二の丸の正門です。手前の説明板には『高麗門型式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門型式の「二の門」からなる枡形門で、枡形は城内最大の規模ほ誇ります』と記されています。
金沢城に天守はありませんでした。正確に言うと、前田利家の時代に5重6階の天守が築かれましたが、落雷が原因で焼失。以後は再建されませんでした。本丸に代わって政治の中枢を担っ..
ひっそり佇む重要文化財(金沢城)三十間長屋 [2023/11/16 21:15]
見どころの多い金沢城内にあって、やや地味な区画にひっそりと、しかし堂々と佇む建物を見つけました。
<三十間長屋>さんじっけんながや
なんだか凄い建物だが、周りに誰もいないなぁ…
ここへ着くまでに多くの観光客とすれ違っていましたので、何となくもの寂しさすら感じてしまいました。
<説明板>
三十間は長さとして、長屋?城詰め藩士のアパートのようなものか?
あまり予習しないで訪問したため、長屋という呼び名から勝手な想像をしました。しかし説明板をよく..
石垣に空いた巨大な穴(金沢城)レンガ造りのトンネル [2023/11/11 21:20]
金沢城跡では石垣も見どころです。ただ、一か所だけ、異様な光景となっている場所があります。
<石垣に大きな穴>
なんだあれ?
下調べなしで訪問してたるので正直驚きました。
<レンガ造り>
よく見ればレンガ造り。これはかつて金沢城跡に旧陸軍が駐屯した時のなごりです。トンネルは弾薬庫の通路でした。
<説明板>
明治から大正期に作られてと記されています
石垣が崩れかけていたり、草木に埋もれているのは見慣れていますが、人工的で大きな穴とい..
隠し狭間(金沢城)海鼠壁と鉄砲狭間 [2023/11/06 22:10]
金沢城の石川門で、こんな狭間を見かけました。
<鉄砲狭間>
ここはいわゆる枡形門の内部です。鉄砲用の狭間が設けられています。門に迫ってくる外敵を、内側から狙い討ちするための仕掛けですね。決して珍しい構造ではありません。
ただよく見ると
<狭間の構造>
穴が開いていないのかぁ
向こう側が見えません。城壁の狭間と言えば穴が開いているものが多いですよね。ここは櫓など建物内部で見かける狭間と同じで、蓋がされているようです。外からはどんな風に見えるの..
威風堂々の搦め手(金沢城)石川門 [2023/11/05 21:33]
兼六園側から金沢城址公園へ向かうと、堂々とした城門が出迎えてくれます。
<石川門>いしかわもん
立派です。金沢城三御門のひとつ石川門です。最初の画像は入り口の門。次の画像は門に併設されている櫓。名の由来はどなたかの名前かと思いきや、石川郡の方を向いていたので石川門と呼ばれたそうです。石川郡はそのまま県名となっています。
1759年(宝暦9年)に焼失したものの1788年(天明8年)には再建。修理を重ねて現在に至ります。つまり、江戸時代に建てられた門が現存し..
いざとなれば砦を築けそうな庭園(金沢市)兼六園 [2023/11/03 22:40]
<兼六園>けんろくえん
日本三名園のひとつとして名高い兼六園。情報はネットに溢れていますので、城跡ブログらしい目線でまとめさせて頂きます。
これは城に隣接する他の庭園にも言えることですが、優雅な庭園も、万が一の時は防衛施設になることを意識して造られていたという見方ができます。つまり二ノ丸・三ノ丸といった曲輪と同じ役割です。
金沢城は二本の川に挟まれた台地(厳密には段丘)の先端に築かれました。よって周辺とは高低差があります。ただ、台地の続いてい..
さし石(尾山神社)藩主前田家より拝領の力石 [2023/11/02 22:50]
金沢市の尾山神社に展示されている力石の話です。
<力石>ちからいし
力試しに用いられた石ですね
<説明板>
ここでは『さし石』と呼ぶようです。旧藩主前田家よりの拝領石とのこと。説明文を以下に転記させて頂きます(『』内は転記)。
『一般に番持ち石といわれ、古くより若衆達がこの石を担いで力と技を競った。特にここ加賀においては、草相撲と並んで力比べが盛んに行われた。これに因んで、この石に触ると健康になるといわれ、古くより多くの人々がこの石を触り幸福への..
焼失を免れた城門(金沢市)尾山神社東神門 [2023/10/29 22:00]
金沢城の西側に位置する尾山神社には、かつての二ノ丸の城門が移設されています。
<尾山神社東神門>
安土桃山時代の様式の唐門。たび重なる火災に悩まされ、多くの建築物が失われた金沢城にあって、これは貴重な遺構です。
<説明板>
こちらに詳細が記されていますので、ご紹介させて頂きます(『』内が原文の転記)
『この神門は、金沢城二ノ丸御殿にあった一間一戸の向唐門と伝えられています。明治三年(一八七〇)頃に卯辰山にある招魂社の神門として移され、昭和三十八年..
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