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長町武家屋敷跡は中級以上の藩士が暮らした町。こっちは足軽のコーナーですからね。こういっては失礼ですが、ちょっと立場が違います。
ではお邪魔します
え?
なんで?
すみませんが、足軽といえば臨時の歩兵。勝手ながら、予想していたのは板張りの質素な共同住宅。足軽長屋です。ここは一軒家ですよね?
しかも庭付き
実は
加賀藩では足軽にも庭付き一戸建てが与えられたそうです。さすがに武士の屋敷には及びませんが、かなり立派です。
座敷の他にこんな小間まである。私もこのくらいでいいから自分だけの部屋が欲しいなぁ…
電気・水道・ガスは勿論ありませんが、生活スペースとしては現代人が見ても羨ましい。ちなみに、このいわば「足軽屋敷」は、最初からここにあったのではなく、実際の足軽の屋敷を移築再現したものです。中級武士の屋敷が土塀だったのに対し、こちらは生垣となっているあたりに、妙なリアリティを感じずにはいられません。
何度か目にした他藩の武家屋敷跡とあまり変わらないなぁ…
これが正直な感想でした。
足軽というと、どうしても戦国時代の臨時の歩兵を想像してしまいます。しかし江戸時代の金沢においては、まったく異なる立場だったようです。私の下手な説明より、分かりやすい下記の文言をそのまま転記させて頂きます。
『足軽とは戦闘に駆り出される歩兵のことを指しています。戦国時代には弓・鉄砲の部隊を編成して活躍しましたが、江戸時代には武士の最下層に位置付けられました。』
そう、武士なのです!
「足軽」という言葉で勘違いしてしまいましたが、私が訪問したのは加賀藩の下級武士の屋敷なのです。
縁側まであるなぁ…
土縁(どえん)とは土間と板縁で構成される雪国特有の造りです。
最後に
屋敷内に展示されていた『吉報は玄関から』を引用して終わりにします。
『足軽にお召し上がる時は、前日に使いの者がやってきますが、その使いは玄関から入ってきたり、勝手口から入ってきたりしたそうです。そして家族たちは、使いがどっちから入ってきたかで、よい知らせか悪い知らせかが分かりました。昇進や拝領などの吉報は玄関から、それに対してお咎めなどの悪い知らせは勝手口から、いつの頃からかそんな慣習ができていたみたいです。』
雇用関係が曖昧な時代とは異なり、組織人としての足軽の暮らしがあったわけですね。
■訪問:金沢市足軽資料館
[石川県金沢市長町]1-9-3
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■参考及び出典
・現地説明板(金沢市)
・Wikipedia:2023/10/14
タグ:石川