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沼田城主・真田信吉墓所(沼田市)天桂寺 [2024/09/16 21:35]
沼田城主となって沼田を治めた真田信吉の墓所を訪ねました。 <天桂寺墓所>てんけいじ 沼田市天桂寺の墓所です。奥が真田信吉のお墓です。一般の方のお墓もありますので、画像は多少加工させて頂きました。雰囲気は伝わると思います。 <宝篋印塔>ほうきょういんとう 約3メートルの宝篋印塔。近くで見るとかなり大きいです。沼田市の重要文化財に指定されています。 真田信吉は信之の長男です。生年には諸説ありますが、一般的に1595年とされています。実母についても諸説あり..
藩主になるはずだった真田信守墓所(沼田市)舒林寺 [2024/09/15 21:30]
沼田市で真田信守の墓所を訪ねました。 <舒林寺山門>じよりんじ 立派な佇まい。ここ舒林寺は曹洞宗の寺院。初代藩主・真田信之により境内を寄進され真田氏の菩提寺となりました。 <案内板> 奥へ進むと「真田又八郎信守の墓」と記された標識をみつけました。 真田信守は信濃松代藩の第2代藩主・真田信政の次男として生まれました。長男の信就は、身分不確かな側室の子であることから、早々に後継ぎを辞退していました。これにより、次男・信守はやがては真田家当主、そして信..
長野堰用水円筒分水(高崎市) [2024/09/01 21:50]
高崎市の住宅地にある円筒分水を訪問しました。 <円筒分水>えんとうぶんすい こちらです。水は円の中心から外へ向かって放射状広がり、均等に溢れます。円の外側には、中心からの角度を決めて仕切りを設けてあります。仕切りで分けられた水は各水路へ流れることになりますが、全体の水量が増減しても、分配される水の比率は変わりません。 <各水路> こちらは円筒分水の下流で撮影しました。交わることのないそれぞれの水路。水の量はそれぞれ違いますが、比率は一定に保たれています。 ..
将門の伝説が残る神社(太田市)只上神社 [2023/06/03 21:45]
平将門の胴体が埋葬されたという伝説が残る場所を訪ねました。 <只上神社>ただかりじんじゃ 群馬県太田市の只上神社。渡良瀬川のすぐ近くです。 <参道> 誰もいませんね。参道左手側の建物は社務所と思われます。参道右手にむかしは遊具が設置されていて、子供たちが遊ぶ姿が見られたそうです。 <拝殿> よそ者が失礼致します <村社只上神社御由緒> この付近は毛里田(もりた)という村だったようです。元々は品陀和氣命(ほむだわけのみこと)のみを..
兄に付き従う脇屋義助の像(太田市)太田駅前 [2022/05/30 22:20]
(新田義貞像の追記です) <新田兄弟の銅像> 兄である新田義貞に付き従うような姿勢の脇屋義助。通称は脇屋次郎。 <脇屋義助像>わきやよしすけ 兄同様に上野国新田郡(現在の群馬県太田市)の生まれです。居とした地名から名字を脇屋と称し、義貞とともに各地を転戦しました。鎌倉幕府を滅亡に追い込んだのち、新政府においては要職を任され、後醍醐天皇に対する足利尊氏の謀反にも立ち向かい、兄が戦死したのちも戦い続けました。最後は中国・四国方面の総大将となって実力を発揮します..
太田駅前の新田義貞像(太田市) [2022/05/30 22:15]
東武太田駅の北口を出ると新田義貞が出迎えてくれます <新田義貞>にったよしさだ 駅前ロータリーに設置されている新田義貞の銅像です。鎌倉幕府を滅亡に追い込んだことで知られる武将ですね。ここ群馬県太田市は新田義貞の故郷であり、清和源氏新田氏と深い関りのある場所です。 隣に控えているのは家臣?そうとも言えますが、義貞の弟の新田義助です。現在の太田市にも残る地名から脇屋氏を名乗りました。挙兵した兄に従い、幕府軍と戦いました。 太田市は新田荘があった場所(旧新田..
羽生城主・木戸忠朝が入った膳城とは [2021/04/02 22:55]
前回の記事で羽生城をご紹介させて頂きました。戦国期真っただ中の関東で、上杉謙信に与して城を守った木戸忠朝が、羽生城を離れて膳城へ移ったことにも触れさせて頂きましたが、『膳城ってなに?』と思われた方のために、簡単にご紹介させて頂きます。当ブログでの過去記事もございますので、良かったら覗いてみて下さい。 →『記事へすすむ』 ■膳城■ぜんじょう <膳城跡> 膳城は現在の群馬県前橋市にあった城です。歴史は古く、築城は15世紀半ば頃ではないかと考えられています。膳氏が築..
明智家ゆかりの地(沼田城) [2020/05/16 20:50]
<沼田城址> 沼田城といえば、まず真田家を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?沼田藩は真田昌幸の長男・信之から始まり、5代続きました。で、そのあとですが、天領を経て本多家が3代、黒田家が2代、そして12代続いた土岐家で明治維新となります。 土岐家は12代! 凄いですね。約130年だそうです。 この土岐家ですが、祖は土岐明智家の出です。武功を重ねて認められ、のちに土岐家の家名再興のため名を改めました。つまり、沼田には明智の流れが受け継がれていたことにな..
上州のおんな城主・妙印尼輝子(新田金山城) [2020/04/28 22:27]
つわものどもが夢の跡 今回は名城を舞台に活躍したおんな城主の話です <新田金山城>にったかなやまじょう こちらは群馬県太田市の金山城。関東七名城のひとつに数えられる山城です。 ■妙印尼輝子■みょういんにてるこ この方は金山城を拠点とする由良家当主・成繁の正室です。由良家に嫁ぎ、のちに当主となる由良国繁、足利長尾氏の家督を継ぐことになる顕長らを生み、夫の死後に出家して妙印尼を名乗りました。諸説ありますが、妙印尼は館林城主の赤井氏の出と推定されています。そうする..
山城山頂に残る神秘の溜池 金山城 日ノ池 [2020/04/19 21:24]
関東七名城のひとつに数えられる群馬県太田市の金山城。下剋上を成し得た由良氏の居城、上杉謙信でも落とせなかったといわれる戦歴、そして調査を基に復元された現在の姿。どれをとっても訪問する価値のある城と思っています。そんな金山城において、ちょっと異彩を放っているのが今回ご紹介の『日ノ池』です。 <日ノ池> こちらです。大きさは直径16mくらい。結構大きいです。深さは約2mから2.5m程度。金山城の溜池と受け止めて間違いないとは思いますが、見た瞬間に違和感というか、不思議..
兵は詭道なり 城の構造に込められた思惑 (金山城 馬場下通路)   [2020/04/18 23:57]
城跡巡りをしていると、そこに施された仕掛けにハッとする瞬間があります。そんな中から、今回は群馬県太田市の金山城訪問で目にした通路をご紹介します。 <馬場下通路> この光景、自分が攻め手だと思って眺めて下さい。攻めにくいように道幅は狭くなっており、石垣の陰には城兵が潜んでいそうな予感がしますよね。でも何とか突破すれば、城の奥へと進める予感もします。 すべては攻め手の予感。実際には障害物に邪魔され、更に通路が曲がっているので、この位置からでは奥が見通せません。で..
難航不落 金山城のなごり [2020/04/18 22:31]
つわものどもが夢の跡 今回は関東七名城のひとつに数えられる山城です。 <金山城>かなやまじょう 復元された大手虎口 ■山 城■ 群馬県太田市の金山城は、標高239mの山全体を利用した山城。独立峰に築かれているので厳密には平山城となりますが、当ブログでは山城で通します。自然の地形を巧みに利用し、山頂を城の中心部として四方に延びる尾根上に曲輪を配置する連郭式山城です。斜面の要所要所には堀切や土塁が設けられ、戦国時代の城としては関東屈指の名城といえます。関東七..

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