<新田兄弟の銅像>
兄である新田義貞に付き従うような姿勢の脇屋義助。通称は脇屋次郎。
<脇屋義助像>わきやよしすけ
兄同様に上野国新田郡(現在の群馬県太田市)の生まれです。居とした地名から名字を脇屋と称し、義貞とともに各地を転戦しました。鎌倉幕府を滅亡に追い込んだのち、新政府においては要職を任され、後醍醐天皇に対する足利尊氏の謀反にも立ち向かい、兄が戦死したのちも戦い続けました。最後は中国・四国方面の総大将となって実力を発揮しますが、伊予で病により亡くなりました。
新田氏当主の次男として生まれ、波乱の人生の末に異国で没した脇屋義助。長い旅路の始まりは、ここ群馬県太田市でした。
■訪問:
新田義貞公像・脇屋義助公像
[群馬県太田市東本町]
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