沼田城といえば、まず真田家を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?沼田藩は真田昌幸の長男・信之から始まり、5代続きました。で、そのあとですが、天領を経て本多家が3代、黒田家が2代、そして12代続いた土岐家で明治維新となります。
土岐家は12代!
凄いですね。約130年だそうです。
この土岐家ですが、祖は土岐明智家の出です。武功を重ねて認められ、のちに土岐家の家名再興のため名を改めました。つまり、沼田には明智の流れが受け継がれていたことになりますね。
もう少し具体的に言います。まず、明智光秀で有名な明智氏は、清和源氏土岐氏の支流です。沼田藩土岐家の祖となる土岐定政は、父親が明智定明、母親は菅沼家の菅沼定広の娘でした。詳細はわかりませんが、定政は明智光秀のいとこにあたるという説もあります。父が戦で亡くなると、定政は母方の菅沼家に身を寄せ菅沼姓を名乗ります。やがて徳川家康の家臣となって活躍し、1万石の大名となり、土岐を名乗りました。
土岐家から枝分かれした明智家の出が、また土岐家を名乗った。そういうことですね。
ということで
真田ゆかりの沼田は、ちょっとだけ明智ゆかりの地でもあるというお話でした。
名門『土岐氏のゆかり』と言ってしまえば済むものの、2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』に合わせてあえて土岐明智ゆかりの地とご紹介させて頂きました。拙ブログ、最後までお読み頂きありがとうございます。沼田城訪問の記録は別途投稿していますので、よかったらのぞいてみて下さい。
■投稿:2017年05月26日
■タイトル:河岸段丘の地の利 沼田城のなごり
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■訪問:沼田城址
[群馬県沼田市西倉内町]
本丸・二の丸が公園として整備されています
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