万年塔
今回は米沢独特の墓石のお話です。
庭園用ではなく墓石です
[撮影:林泉寺]
中が空洞となっている立方体の石の上に、屋根をのせた形をしています。側面には規則正しく開けられた穴。ここ林泉寺に限らず、米沢ではよく見かけるお墓の形で『万年塔』と呼ばれています。
[撮影:普門院]
■直江兼続考案■
万年塔はあの直江兼続により考案されました。独特の形で見た目も良いですが、実はかなり機能を意識して造られています。
お墓で機能?
●戦に備える
<米沢城本丸跡>
万年塔が考案された正確な時期はわかりませんが、直江兼続が米沢と関わりを持つのは戦国末期から江戸初期です。まだ緊張状態は続いています。万年塔は、有事ともなれば屋根を外し、積み上げて防護壁とすることを想定していました。
徳川家康を敵に回した代償として、上杉家は会津120万石から出羽米沢30万石へ減移封となりましたが、直江兼続は城下町や新田開発に力を注ぐ一方で、山中で密かに鉄砲を鍛造させるなど、新たな戦を意識していたようです。米沢に限らず、江戸時代初期とはそういう時代なのかもしれませんね。
●氾濫に備える
<松川>
米沢市内を流れる松川
今でこそ整備されている松川ですが、昔はよく氾濫する川だったそうです。万年塔は洪水の際には土を詰め、土嚢とすることも想定していたようです。丈夫でありながら中身が空洞なため、運び安かったかもしれませんね。
最後に
考案者である兼続の墓所をご紹介します。
<林泉寺>
米沢市の春日山林泉寺です。米沢藩主の奥方や重臣たちの墓があることで知られています。
<直江山城守兼続の墓>
こちらが直江兼続のお墓です。
左が兼続で右は妻お船のお墓。夫婦で同じ形の万年塔です。この時代に男女が同じ場所に並べられている例は珍しいですね。
ということで
米沢独特の墓石のご紹介でした。
あくまで個人的な感覚の問題ですが、当ブログではお墓そのものの掲載は極力避けております。ただ、今回は米沢らしさを共有させて頂きたく、そのまま掲載させて頂きました。
[撮影:林泉寺]
2020年05月15日
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