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家老大石家のなごり(笠間市)大石邸跡 [2019/09/08 05:59]
赤穂転封の前は笠間藩主だった浅野家。その家老として知られる大石家の屋敷跡を訪ねました。 <大石邸跡> ここは茨城県笠間市。家老だった大石良欽(よしたか)の屋敷跡です。 銅像は孫にあたる良雄。つまり忠臣蔵の大石内蔵助です。まぁ内蔵助本人は赤穂の生れなのですが、四十七士の中には、笠間藩の出身者が3人も含まれています。これだけでも、ここ笠間の地が赤穂浪士と関係が深いことが伝わってきますね。 浅野家は笠間藩以外に真岡藩(栃木県)・真壁藩(茨城県)も治めています。赤穂浪..
裏方の英雄 伊奈忠次のなごり(水戸市) [2019/07/29 22:14]
<伊奈忠次>いな ただつぐ 水戸市内の道明橋に建てられた伊奈備前守忠次の銅像です。背景は備前堀。その名の通り、伊奈備前守の指導で造られた治水と利水を兼ねた用水路です。 この堀の始まりは江戸初期。水戸藩主が初代の徳川頼房の時に、近くの千波湖の増水対策として堀が掘削されました。堀の長さは約 12kmにも及び、当時の21の村々を灌漑し、恩恵をもたらしました。そして今も、現役の水路として活かされています。 伊奈忠次は徳川家康の古くからの家臣です。家康の伊賀越えに..
反骨の学者 熊沢蕃山ゆかりの地(古河市) [2018/06/24 22:22]
<鮭延寺> けいえんじ 茨城県古河市の鮭延寺です。 この寺を訪問した理由は、出羽の戦国武将・鮭延秀綱ゆかりの寺だから。それだけでした。 <石碑の文字> 実際に現地へ行ってみると、石碑には鮭延越前守秀綱と並んで熊沢蕃山の文字が刻まれています。 えっと、どこかで聞いたような・・・ どなたでしたっけ? こんなブログをやっていますが、私の歴史知識などはその程度です。訪問時は、とにかく鮭延秀綱で頭がいっぱいだったので、後から調べることにしました。 ..
下館城の天門の守護神(筑西市)上羽黒神社 [2018/01/03 14:28]
お正月ですので神社の話を。と言っても、自分の初詣は既に地元で済ませているので、昨年の城跡巡りで印象が強かった神社をひとつご紹介します。城跡が立派な神社となっている例はたくさんありますが、ちょっと違います。思わず足を止めた。そんな雰囲気の神社です。 ■水谷勝氏建立■ みずのや かつうじ <上羽黒神社>かみはぐろじんじゃ 下館城跡訪問時に通りかかった筑西市の上羽黒神社です。大きな神社ではありませんが、独特の雰囲気に「はっ」として立ち止まりました。 何だろう、こ..
暗渠と城跡11 川口川と土浦城 [2017/09/15 23:10]
土浦城跡探索の帰り 水郷に相応しい城下町のなごりを探索しました。ただの散歩ですが、こだわるところはこだわって。 ■川の無い橋■ まず城付近でこんな橋を発見 <お志ろはし> お城の水堀と繋がっている水路があった。そう思われます。橋だけが残り、水路の姿はありません。いわゆる暗渠(あんきょ)です。ここ土浦は、こういう痕跡がところどころに残されています。 <道路のひび割れ> 歩道だけでなく、車道も同じ方向に向かってひびが入ってますね。道の下の構造が、他の..
水郷の平城 土浦城のなごり [2017/09/14 22:14]
つわものどもが夢の跡 水郷の城・土浦城跡を訪ねました。 <本丸櫓門>やぐらもん 櫓の二階に設置した太鼓で時を知らせたことから太鼓櫓門とも呼ばれたそうです。 ■築城から戦国期■ 小田氏領有 室町時代の中期、地元豪族の小田氏に属する若泉三郎(または今泉三郎)が城を築いたことが始まりと考えられています。それ以前に、平将門が砦を築いたという伝説もあります。それが事実なら最初の築城は平安時代末期ということになりますが、明確な文献がなく、若泉三郎築城とするのが一般的..
鮭延秀綱の軌跡(鮭延城から鮭延寺) [2017/08/11 23:52]
戦国武将好きです。今回は鮭延秀綱(さけのべひでつな)について。ややマイナー武将ですが、知る人ぞ知る出羽の名将です。 ■旅の始まり■真室川町 <鮭延城跡> [山形県最上郡真室川町] 秀綱居城の入り口。山城です。 <山城探索> かなり「放っとかれた状態」でした。苔類がクッションになり、踏みつけるのが心苦しいくらいです。 中世末期、出羽国北部を支配した鮭延氏の居城です。築城時期は不明。真室川を望む高台にあり、別名は真室城。出羽の名将・鮭延秀綱の歴史..
孤立した遺構と城のなごり(古河城)獅子ケ崎 [2017/05/10 22:04]
■ 古河城訪問・追記 ■ 名城古河城は、本丸跡を含めてそのほとんどが渡良瀬川改修工事により河川敷となりました。川とは逆方向(東側)で、やや離れた場所に配置されていた出城(諏訪曲輪)は取り壊しを間逃れ、開発の波に曝されながらも城のなごりを留めています。 私の古河城訪問記はこの「本丸跡」と「出城(諏訪曲輪)」で終了。そのつもりでした。でも現地をてくてくと歩き回り、「はっ」とした光景がもう一か所ありますので追記させて頂きます。 <獅子ケ崎土塁> ただの竹藪?では..
幻の城の出城跡(古河城)諏訪曲輪 [2017/05/09 22:13]
この地は室町時代から「古河城」の城下町として栄えた街。歴史ある名城は川の改修工事で全て失われましたが、堀の外に設けられていた「出城跡」が街なかに残されています。連郭式の巨大な古河城の縄張りから、ちょっとはみ出た曲輪。その唯一残された「つわものどもが夢の跡」を訪ねました。 <古河城出城諏訪郭>すわくるわ 石碑に刻まれた文字で、ここが出城に間違いないと確信。古河城全体から見れば曲輪の一部ですが、南北に長い縄張りにあって、ここだけ堀を越えて大きく東側に突き出すように配置..
幻の名城を訪ねて(古河城)本丸跡 [2017/05/08 22:02]
つわものどもが夢の跡 そのほとんど全てが川に沈んだ名城を訪ねました。 <本丸跡> ここは渡良瀬川東岸。茨城県古河市です。本丸跡・・・ですが何もありません。 明治初期の大規模な河川改修事業により、城は徹底的に破壊されました。今はこの角材、そして案内板が残るのみです。 長い歴史、そして名城と賞される古河城があったとは思えない光景ですね。 ■ 渡良瀬川 ■わたらせがわ 渡良瀬川の水は、現在の栃木県と群馬県の県境付近を流れ、埼玉県と千葉県の県境近..
結城氏館のなごり (城の内遺跡) [2017/02/20 06:00]
筑西市の城跡巡りを終えた帰り道、お隣の結城駅で下車しました。 駅の北側には結城城跡があります。ただ、既に何回か訪問しているため、この日は残された時間でまだ行ったことがない場所へ つわものどもが夢の跡 あの名門結城氏の初代の館跡を訪ねました。 <結城朝光館跡> 結城氏の祖である結城朝光によって築かれたとされています(鎌倉時代初期)。以降、結城城が築かれるまで、ここが結城氏歴代当主の館でした。 <入口> 案内だと「城の内遺跡」となっています。..
久下田城のなごり [2017/02/19 11:08]
<久下田城本丸> 茨城県筑西市の三つの館。ここが上館にあたる久下田城の本丸となります。 「城のなごり」という優しい響きが不似合いな、かなり迫力のある場所です。物理的なもの以外のなにかが放出されているような?そんな気配が漂います。ちなみに、私は霊感とは無縁の人です。 やはりこの光景ですかね… 城跡を巡って縄張りや遺構を確認する時、一番思い浮かべるのは人の思い。簡単に言えば「どんなつもりだったのか」ということになります。 そんな目でこれを見る..

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