<大石邸跡>
ここは茨城県笠間市。家老だった大石良欽(よしたか)の屋敷跡です。
銅像は孫にあたる良雄。つまり忠臣蔵の大石内蔵助です。まぁ内蔵助本人は赤穂の生れなのですが、四十七士の中には、笠間藩の出身者が3人も含まれています。これだけでも、ここ笠間の地が赤穂浪士と関係が深いことが伝わってきますね。
浅野家は笠間藩以外に真岡藩(栃木県)・真壁藩(茨城県)も治めています。赤穂浪士のうち、赤穂出身は半分程度で、実は次に多いのは北関東出身の武士たちなのです。
<入口付近>
綺麗に整備されています。声をかけて頂いた地元の方によると、ちょっと前までは石碑のみだったとのこと。まだ新しいのですね。
<敷地内>
屋敷の遺構らしきものは確認できず。雰囲気だけ味わいました。
<石碑と説明板>
大石内蔵助良雄の曾祖父・良勝と祖父・良欽が住んでいた屋敷跡という説明がなされています。
<詳細な説明板>
こちらには浅野家・大石家と笠間市の関係が詳しく説明されています。大石家は真岡藩時代に浅野家に仕えて、やがて家老職を務める家となりました。ここ笠間市と赤穂市は姉妹都市を提携という説明もありました。両市は浅野家で繋がっているわけですね。ちなみに、赤穂浪士が吉良邸討入って主君・浅野内匠頭の本懐を遂げるのは、浅野家が笠間の地を去ってから57年後の事です。
ということで
笠間藩時代の大石家のなごりのご紹介でした。当ブログがきっかけで、赤穂浪士と関東武士が繋がっていることを知ってもらえたら嬉しいです。
<大石邸跡>
現地へ行かれる方は、笠間日動美術館入口のすぐ近くと思って頂ければ迷うこともありません。
■訪問:大石邸跡
[茨城県笠間市笠間]995
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