<古河城出城諏訪郭>すわくるわ
石碑に刻まれた文字で、ここが出城に間違いないと確信。古河城全体から見れば曲輪の一部ですが、南北に長い縄張りにあって、ここだけ堀を越えて大きく東側に突き出すように配置されています。出城という表現が妥当なのかも知れません。
<堀跡付近の微高地>
石碑はこの門をくぐった所に設置されています。城跡ですが、全体として完璧に整備された公園のような状態。そのところどころに、城のなごりが垣間見えるといった感じです。
<鷹見泉石記念館>たかみせんせき
周辺も整備されています。ここは江戸後期の蘭学者であり、古河藩家老だった鷹見泉石の屋敷跡。晩年の住まい(隠居後の屋敷)を改修し、現在は記念館となっています。堀跡の目の前です。
<武家の屋敷>
中に入ってみました。ここは古河藩が藩士たちのために用意した武家屋敷の一つ。土井利勝が古河城の御三階櫓を造った際の残り材で建てられたと伝えられています。鷹見泉石は隠居後ここで暮らしました。
隠居してこんなところで暮らすなんて私にとっては夢のようですが、鷹見泉石は政務を引退しただけで、その後も勉強し続けました。凡人の夢と、つわものどもが夢は根本的に違うようです。
<古河歴史博物館と堀跡>
ちょっと画像が途切れますが、左手が博物館。奥が堀跡です。
鷹見泉石の残した資料や、「雪の殿様」の異名で知られる土井利位(としつら)の「雪華図説」』なども展示されています。知的な世界で実績を残すこの二人ですが、どういう訳かこのコンビ(失礼しました。主従)は、あの大塩平八郎の乱の鎮圧でも実績があります(この話はここまで)。
[雪の殿様]
古河藩主にして老中の土井利位は、顕微鏡により雪の結晶を観察したことで知られています。ただのオタクではありませんよ。当時の自然科学として高い評価を得ています。個人的な感覚では、関東のど真ん中の古河に雪が降るのは希と思われますが、きっと今とは気候も違っていたのでしょう。
<出城の堀跡>
堀跡はご覧の通りです。ほぼ「親水公園」となっています。造りといいデザインといい綺麗です。ただ城跡マニアなので違う所を見ましょうか・・・
<土塁>
土の部分が見えてます。これが意図的な演出だったら嬉しいですね。ここもコンクリだったら相当寂しい景色になってしまいます。よくぞ残してくれました。ありがとうございます。
この出城(諏訪曲輪)は微高地。広さも含めて、これ単体でひとつの城のようなものです。
名城の本体は幻となりましたが、出城の遺構に城のなごりを感じることができました。
■訪問:
古河城諏訪曲輪
[茨城県古河市中央町]
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