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2018年06月24日

反骨の学者 熊沢蕃山ゆかりの地(古河市)

<鮭延寺> けいえんじ
sirononagori244 (2).jpg
茨城県古河市の鮭延寺です。

この寺を訪問した理由は、出羽の戦国武将・鮭延秀綱ゆかりの寺だから。それだけでした。

<石碑の文字>
sirononagori244 (3).jpg
実際に現地へ行ってみると、石碑には鮭延越前守秀綱と並んで熊沢蕃山の文字が刻まれています。

えっと、どこかで聞いたような・・・
どなたでしたっけ?

こんなブログをやっていますが、私の歴史知識などはその程度です。訪問時は、とにかく鮭延秀綱で頭がいっぱいだったので、後から調べることにしました。

帰宅してネット検索してみると、岡山藩の池田光政、陽明学・・・何となく思い当たるふしもありながら、名前以外はほとんど分かっていないことを実感。初めて知ることばかりでした。そして、なぜ古河市の石碑に名が刻まれているか。これも分かりました。その結果、男としてちょっと惚れました。

鮭延寺訪問そのものは少し前の話ですが、熊沢蕃山にテーマを絞り、改めてご紹介させて頂きます。


■ 熊沢蕃山 ■くまざわ ばんざん
この方は江戸時代初期の陽明学者です。しかも「著名な!」陽明学者ですね。師匠は中江藤樹。個人的に陽明学といえば中江藤樹ですが、歴史に詳しい人に聞いたら、蕃山も同じレベルで有名とのこと。ホントでしょうか。

私が中江藤樹なら知っているというと

その中途半端さがわからない…

とのこと。

まぁいずれにしても「著名な!」陽明学者です。岡山藩主池田光政(あの池田輝政からみて孫)に仕えて藩政に参画。農民の救済や土木事業で業績をあげました。

さてさて、この辺りは言われてみれば「そうでしたか〜」で終り。調べる以前から何となく感じていた「西の方の人」というイメージも外れていません(かなりアバウトですが)。では、何で古河市の寺に名前が?

蕃山は何しに茨城へ?


■ 反骨の学者 ■
朱子学が統治者側に好まれたのに対し、日本における陽明学は反体制的な理論を含むこともあったことから、幕府からは嫌われる傾向にありました。

中江藤樹の門下でその陽明学を学んだ熊沢蕃山。壮絶な生きざまの末に、体制批判が激しすぎて、幕府から蟄居謹慎を命じられました。身柄を預かったのが下総国古河藩でした。なるほど。

熊沢蕃山この時69歳

この年齢であるにも関わらず、幕府は放っておく訳にいかったのですね。

<超コンパクトな年表>
1619年 京都稲荷生まれ
1634年 岡山藩主池田光政に仕える
1639年 20歳の時に京都に戻る
1642年 中江藤樹に陽明学を学ぶ
1645年 池田光政に再び仕える
1654年 備前の飢饉救済に尽力
1657年 藩改革で家老らと対立
1661年 京都に移住し塾を開く
1687年 幕府圧力で追放
1691年 古河で生涯を閉じる


全ては書けませんが、この年表の行間は相当濃いです。強烈な個性と己の意志を貫いて民に尽くすその生涯は、常に逆風に曝されました。


■ 治水事業 ■
蕃山はいわば学者さんです。一方で治水・土木に秀でていた方でした。蕃山の理念は日本固有の気候・地形に根ざした水土[すいど]論、徹底した森林保全主義者であったそうです。

謹慎を命じられたはずの蕃山ですが、その能力を古河藩から見込まれ、晩年の地である古河でも治水・土木の指導をしてまわったようです。

干されてるのに頼りにされる

なんか格好よくないですか!!


■ 蕃山の言葉 ■
いろんな名言を残していますが、一つだけ紹介します。

我は我、人は人にてよく候

いろんな意味に解釈できますが、

自分は自分、人は人で良いのだよ

と受け止めました。いい言葉です。

ということで
戦国武将ゆかりの寺を訪ねたら、「著名な!」陽明学者ゆかりの寺でもあったという内容でした。最後までお読み頂き、ありがとうございます。

<反骨の学者ゆかりの地>
sirononagori244 (1).jpg

■訪問: 鮭延寺
[茨城県古河市大堤]

● 熊沢蕃山
江戸時代初期の陽明学者
1619年〜1691年(9月9日)
師:中江藤樹
[参考・出典:Wikipedia:2018/6/24]


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タグ:茨城
posted by Isuke at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ゆかりの地
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