<公園内の門>
雰囲気はありますが、ただの飾りとしか思っていませんでした。
<説明板>
何やら書いてありますね。立ち止まって読むのは初めてです。以下に転記させて頂きます。
『芝公園のうち、増上寺三門前に位置するあたりは古くから松原と呼ばれています。それは、寛永17年(1640)増上寺20世大僧正南誉(なんよ)上人のとき、幕命によって三門の左右に松を植付けたことに始まるとも,青山家藩士の植樹で百本松原と称したことによるとも伝えられています。
松はその後の災変によって消失,あるいは枯死し主たる景観はくすのきに変わりました。ここは江戸時代の番所跡と伝えられ、土るいにはさまれた通路がカギ形をしています。
都は園地改修にあたり原形を残すとともに往年の松原を偲(しの)ぶものとして黒松を植え、月見をイメージしたモニュメントを設置しました。昭和62年2月 東京都』
なるぼと。ここは都会のオアシスのような場所ですが、ただ整然と整備しているわけではないのですね。ちゃんと意味、というかコンセプトがあったわけです。増上寺の正面に位置するこの付近。「松原」と呼ばれていた区画の再現ということですね。
そして江戸時代の番所跡
土塁にはさまれた通路がカギ形・・・
<土塁とカギ形通路>
<土塁とカギ形通路>
<門>
なるほど
お屋敷の裏門でもイメージしているのかと思いきや、番所の門ということですね。そしてすんなり通過させないための土塁とカギ形通路。ここだけはちょっと城郭のようですね。
番所、つまり見張りのための番人が詰めている場所ですね。いまでいう交番のような感じでしょうか。
荘厳とした増上寺の前に松原が広がり、庶民にとっても眺めのいい場所だったことでしょう。一方で、将軍家にとっても重要な場所。徳川家の菩提寺ですからね。一定の秩序を維持すべく、番所も設けていた。そんな感じでしょうか。深く研究したわけではないので、半分想像で言ってます。ご容赦下さい。
<芝大門の通りにて>
こちらは芝大門の通りに設置されている増上寺の案内板です。歌川広重が描いた増上寺。ちょっと雪が降ってますが、構図はよく分かります。
<芝増上寺雪中>
山門があり、正面左右に石垣で仕切った区画が設けられています。松原です。そして番所もあったということですね。
同じ景色でも、ちょっと意味が分かるだけで一味違って映りますね。松原跡は増上寺正面です。昔のなごりを意識して整備した公園。増上寺を訪問したついでに、ちょっと立ち寄ってみては如何でしょうか。
<増上寺>
<松原>
以上です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
■訪問:松原・番所跡
[東京都港区芝公園]
(増上寺正面)
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--------追 記--------
2021年6月に再訪したところ、周辺が素敵な庭園として整備されていましたので、画像を追加しておきます。
<日本庭園風>
<逍遥の庭>しょうよう
日本造園組合連合会による演出のようです。素人には分からない凄い技術が使われているのかもしれません。ただ記された名前から、気楽に楽しんで良いお庭と受け止めました。
東京タワーや増上寺のあるここ芝公園は、普段から観光で訪れる人が多い場所。東京オリンピック・パラリンピックによる観光客増を意識した日本らしさの演出ですね。
以上です。
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