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諏訪原城のなごり(島田市)諏訪大明神を祀った城  [2019/08/11 20:46]
つわものどもが夢の跡 駿河と遠江の国境に築かれた城跡を訪ねました。 <諏訪原城土橋跡> 貴重な遺構。国の史跡となっています ■舌状台地の丘城■ 今回訪問の諏訪原城は、台地の突き出た部分の先端に築かれた山城です。いわゆる舌状台地ですので三方に高低差があり、残りの一方に念入りに堀や曲輪を配置する縄張りとなっています。 <絵図> [撮影:諏訪原城ビジターセンター] こんな感じです。 大井川と菊川に挟まれた南北に細長い台地、その南側の先端部を..
武士たちから始まる茶畑 [2019/08/03 21:13]
<茶畑> こちらは静岡県島田市の茶畑です。幕府崩壊により失業した徳川家の家臣たちが、主の移住先である静岡で茶畑開墾に従事した。有名な話!らしいのですが、恥ずかしながら私は今年の諏訪原城訪問で初めて知りました。 江戸時代はまだ原野だった牧之原台地。 エリアでいうと現在の島田市と牧之原市、そして菊川市にまたがる台地です。高い場所にあることから、水の供給にも事欠いたということでしょうか。地元の農民も手を出さなかった土地に、果敢に挑んだ武士たちがいた。徳川家が幕府から一..
早雲生涯の居城 韮山城のなごり [2019/06/22 22:38]
つわものどもが夢の跡 戦国初期の英雄・北条早雲生涯の居城を訪ねました。 <韮山城> にらやまじょう ■ 早雲の居城 ■ 北条早雲の城として知られる韮山城。その築城年については、あまりはっきりしたことは分っていません。既にあった小規模な城を、この地を領有することになった早雲が、本拠とすべく本格的な改修を行ったと考えられています。早雲が小田原城を攻略して相模へ進出したあとも、韮山城は早雲の本拠であり続けました。 生涯の城 韮山の城は北条早雲にとって..
暗渠と城跡18 谷戸の水と興国寺城  [2018/10/28 06:15]
(興国寺城の追記です) <低地と山城> [静岡県沼津市根古屋] 山麓の地形を利用して築かれた興国寺城。高台から低地へ降り立つと、見事な暗渠が続いていました。 深い谷戸から続く暗渠。奥の山が城跡です。 ■ 暗渠と城跡 ■あんきょ 当ブログでは、都市化によって埋もれてしまった川と城を、「暗渠と城跡」と題して投稿させてもらっています。 コンセプトとしては 「暗渠に気付くアンテナがあると、街の中の城跡巡りが一層楽しくなる。川のなごりを感じることは、城の..
早雲始まりの城 興国寺城のなごり [2018/10/27 23:25]
つわものどもが夢の跡 北条早雲の最初の居城として知られる沼津市の城跡を訪ねました。 <興国寺城> 北条早雲はのちに関東覇者となる小田原北条氏の祖。韮山城を拠点としたことで知られていますが、最初の城はここ興国寺城です。当時の名は伊勢新九郎盛時。北条早雲は後世の人による呼び名です。 ■ 興国寺城 ■ こうこくじじょう 国の史跡に指定されています。山の麓に位置し、低湿地に向かって半島状に突き出した台地上に築かれました。城の東西は谷、南方は低湿地という天然の地形..
武田勝頼は弱くない 城跡巡りで感じること [2018/10/21 06:55]
(蒲原城訪問の追記です) <蒲原城北曲輪>かんばらじょう 今回訪問の蒲原城跡は、ほんとうにいろんなドラマのあった山城です。今川の城であり、北条の城でもあり、武田の城でもあります。こんな拙ブログではとてもその全てご紹介できませんが、訪問してみて、かなり個人的な思い入れになりますが、城を攻略した武田勝頼のことが頭を離れません。 <険しい山城> 1569年、勝頼は北条新三郎が立て籠もるこの山城を攻略します。 蒲原城の要害性を見極めた勝頼は、力攻めを..
駿河激戦の山城 蒲原城のなごり [2018/10/21 06:32]
つわものどもが夢の跡 かつて駿河にあった激戦の山城を訪ねました。 <蒲原城跡>かんばらじょう ■ 今川氏の重要拠点 ■ 築城時期は明らかではありませんが、今川氏によって、南北朝時代に築かれたのではないかと考えられています。戦国時代になると、今川氏の家臣にして一族でもある蒲原氏が守る拠点となっていました。位置的に今川領の東側に睨みを利かす城ということですかね。今川氏にとっての重要拠点であり続けました。 ■ 今川氏の衰退 ■ 1560年の桶..
山を貫く水路 狩野川放水路  [2018/08/15 22:22]
今回は水路のお話です。ただの水路ではありません。壮大な治水事業の一環として造られた伊豆の巨大放水路です。 <狩野川放水路>かのがわほうすいろ 山を貫いて造られました。これが水路です。 以前から存在は知っていましたが、どうしても実物を見てみたく、伊豆の城跡巡りの際に立ち寄りました。撮影は1月。城巡りに同行してくれた友人も、苦笑いしながら探索に協力してくれました。 <コンクリの要塞> 近くで見ると圧倒されます。何の飾りもなく、ただ役割を果たすためのだ..
海賊城の縄張り(沼津市)伊豆長浜城 [2017/03/15 22:07]
(伊豆長浜城のつづきです) ■ 海の山城 ■ 海に突き出した小さな半島を利用した城です。山城?と分類して良いと思います。 <第二曲輪> この区画(画像手前)が一番広い曲輪です。櫓が見えますが、その向こう側が第一曲輪。山の頂上です。 <海に突き出る曲輪> 第一曲輪から撮影。半島先端の頂上から下に向かって高低差のある曲輪が連続して配置されています。それ自体は珍しくありませんが、その先に堀でも湿地でもなく、海が広がっていることがとても新鮮です。 ..
海賊城のなごり(沼津市)伊豆長浜城  [2017/03/15 21:12]
つわものどもが夢の跡 国の史跡に指定されている海賊城があると聞いて、静岡県沼津市へ行ってきました。 <伊豆長浜城>いずながはまじょう こちらです その前に、まずは… <港メシ> グルメブログではないので解説しませんが、たまにはいいですね。 <沼津港> 沼津港というと、かなり男臭い漁師の港を想像していましたが、観光地化しているエリアもあるのですね。家族で安心して楽しめる場所です。沢山の観光客で賑わっていました。 では目的地へ ..
城跡の維持・管理(三島市)山中城跡にて [2017/03/01 07:00]
■ 城跡の維持・管理 ■ <山中城の遺構> 三島市のホームページによれば、山中城は昭和48年から発掘調査と復元整備が開始され、昭和56年に一般開放されたようです。更に平成25年度からは、傷みの目立つ西櫓、西ノ丸、元西櫓、二ノ丸を再整備し、開園した昭和56年当時の復元状況に戻したとのこと。「北条流築城術の粋 障子堀と畝堀」と表現されています。 リニューアルしたばかりだったのですね。 行ってみてまず実感したのは、かなり整備されていることと、思っていたより広いこ..
北条氏勝と山中城 [2017/02/28 07:00]
つわものどもが夢の跡 かつて壮絶な戦いがあった山中城。今回はこの戦いで生き残った武将についてです。 <山中城の障子堀> 豊臣秀次を総大将とする7万の大軍勢。これと戦う山中城4千のなかに、援軍として駆けつけた玉縄城主・北条氏勝の姿がありました。 ■生きる選択■ その名の通り、氏勝は北条一族。天下軍との圧倒的戦力の差に、城内で自害を決意します。しかし家臣に止められ、最終的には生きて城を脱出します。 <本丸付近> 北条氏の諸将が集結してい..

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