国の史跡に指定されている海賊城があると聞いて、静岡県沼津市へ行ってきました。
<伊豆長浜城>いずながはまじょう
こちらです
その前に、まずは…
<港メシ>
グルメブログではないので解説しませんが、たまにはいいですね。
<沼津港>
沼津港というと、かなり男臭い漁師の港を想像していましたが、観光地化しているエリアもあるのですね。家族で安心して楽しめる場所です。沢山の観光客で賑わっていました。
では目的地へ
<ヨット>
長浜城跡の無料駐車場からの眺め。城は画像の左手になります。
それにしても、こういうヨットとか保有している人って、どんな暮らししてるんでしょう。凄いですね。タダでもらえても、普通のサラリーマンでは維持することもできません。車一台で精一杯です。
<車>
ということで同僚の車。新車だそうです。これはこれで羨ましい。本日の城跡巡りは、会社で苦楽を共にしているお仲間二人と。珍しく単独行動ではありません。
<石碑と入口>
階段が設置してあり、ここから登ります。
この城の築城時期は不明。推定で15世紀後半と考えられています。
小田原北条氏の傘下でした。駿河国を手中に収めた武田氏に対し、北条氏は重要拠点の韮山城(静岡県伊豆の国市韮山)を守るべく周辺の城を整備。ここ伊豆長浜城も、その頃本格的に再整備(改修)されたと考えられています。これが1579年頃の話。北条氏の当主が四代目・氏政の時のですね。以降、北条水軍は幾度となく武田水軍と駿河湾で交戦。北条水軍の拠点は他にもあったようなので、ここもその一つということです。
水軍を強化したい北条氏は、その道のプロフェッショナルとして梶原景宗(かじわらかげむね)を家臣として招き入れました。三代目当主の氏康に見込まれて家臣となったということは、先述の伊豆長浜城改修以前から、北条水軍と関わっていたことになりますね。どうも北条氏とは長い付き合いのようですが、正式な家臣と言い切って良いのやら、、、。というのも、北条記には海賊と記されているほか、海運を得意とする商人だとする説もあるようです。つまり、身分は良くわかっていません。ただその戦歴は明らか。ということは、小田原北条氏傘下のここ伊豆長浜城にも出入りしていた可能性はありますね。
この梶原景宗、秀吉※の小田原征伐(1590年)の時も北条側として天下軍と戦っています(敗れました)。伊豆長浜城ですが、この大戦においては出番がなかったようです。
※秀吉が築城 した長浜城(滋賀県長浜市)と区別するため、このブログでは「伊豆長浜城」と記載させてもらいます。
<登り階段の途中で撮影>
北条の家紋をしるした幟が海風にたなびいています。かなり遠くまで見渡せますね。まぁさえぎるものが無いんだから、当たり前ですかね。
つわものどもが夢の跡
ここから城内探索開始です (次の投稿へ続く)。
→海賊城の縄張り
■訪問:伊豆長浜城
[静岡県沼津市内浦重須]
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タグ:静岡