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2018年10月21日

駿河激戦の山城 蒲原城のなごり

つわものどもが夢の跡
かつて駿河にあった激戦の山城を訪ねました。

<蒲原城跡>かんばらじょう
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■ 今川氏の重要拠点 ■
築城時期は明らかではありませんが、今川氏によって、南北朝時代に築かれたのではないかと考えられています。戦国時代になると、今川氏の家臣にして一族でもある蒲原氏が守る拠点となっていました。位置的に今川領の東側に睨みを利かす城ということですかね。今川氏にとっての重要拠点であり続けました。

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■ 今川氏の衰退 ■
1560年の桶狭間の戦い。超有名な戦いですね。織田信長が、たった数千の兵で今川の大軍を破った戦いです。この敗戦を機に、名門・今川氏の力はあっという間に衰退しました。今川領はどうなってしまうのでしょうか?

ここで、今川氏とは同盟関係にあった小田原の北条氏が援軍として駿河に進出。今回訪問の蒲原城は、実質北条氏配下の城となりました。


■ 今川領分割案 ■
崩壊しそうな今川を支援する北条。同盟国を守る「義」ともとれますが、甲斐の武田氏が出てくると厄介という事情もありますね。かといって駿河だけに拘るわけにもいきません。北条氏は関東でもライバルと戦わなければなりません。戦国時代はホント大変ですね。

この局面で、武田信玄は北条側に対し今川領の分割を提案します。

つまり
まぁ互いに争うより半分ずつ分け合いましょう
ということですね

相手にも利益があり、己も利益を得ようという交渉ですから、いわゆるWin-Winの提案。ただ北条側はこれを拒否しました。そう、この提案では今川氏が置き去りになっていますよね。北条氏はこれを受け入れませんでした。

Win-Winはよく使われる言葉ですが、もともと経営学用語。経済では済まない、人としての何かがあるということですね。最後の最後に、北条氏はその何かを優先した。こういう解釈、私は好きですね。

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■ 武田の駿河侵攻 ■
武田軍の進攻が始まります。今回訪問の蒲原城は重要拠点。当然戦乱に巻き込まれます。1569年、武田勝頼が率いる軍に攻撃されて落城。この時の城主は北条一族の新三郎。あの北条早雲の孫です。配下の兵約7百人とともに全滅だったと伝わります。

蒲原城は武田氏の支城となりました。


■ 孤立する武田 ■
蒲原城が武田配下になった4年後(1573年)、武田信玄が他界します。これは一大事。そして1575年の長篠の戦いで、当主の座を継いだ武田勝頼の軍は、織田信長・徳川家康連合軍に大敗。一般的に、ここで既に勝負あったかのようなイメージですよね。しかし勝頼は、その後も何とか生き残る道を画策。1577年には北条氏政の妹を継室に迎えて同盟を強化します。

その翌年、今度は越後の上杉謙信が亡くなります。これは直接関係ないようで、実はその後の運命を大きく左右しました。勝頼は上杉の後継者となる景勝と和睦(甲越同盟)。景勝と後継者争いをした景虎は北条出身ですので、北条氏から同盟を破棄されることに繋がりました。北条氏は織田・徳川と手を組みます。これにより、武田の立場はますます苦しくなりました。


■ 廃城 ■
しばらく武田の支配だった蒲原城。織田・徳川連合軍による武田領侵攻が始まると、徳川軍に攻められ落城(1582年)。後の小田原征伐の時(1590年)に徳川軍が陣を張った実績がありますが、実質はこの時に廃城となっていたようです。


■ 現地訪問■
城跡巡りはほぼ一人ですが、この日は久しぶりに会社の仲間2人とともに探索。現地まで車で送ってもらい、ちょっと楽させて頂きました。

<駐車場>
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山を登る途中に駐車場があります。麓から歩いた方が険しさを実感できますが、他の城も行く予定なので、この位置から登ることにしました。向かい側にはトイレもあります。右手の小さな建物です。

<相棒>
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この日お世話になった車と携帯で各々情報を確認する二人。イケメンですが、プラプラ遊んでる様子が勤め先で広まると面倒なので、顔は隠させて頂きました。車のナンバーも。

<案内板>
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駐車場から尾根道を進んで行くと、山城への侵入口付近に案内板があります。

<蒲原城址鳥観図>
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丘陵地帯に位置しますが、蒲原城が築かれたのは独立峰。典型的な山城です。山の標高は約150m。手前はもう海ですから、比高もそんな感じでしょう。本丸(主郭)は山頂。まぁ基本ですね。南北に長い区画となっています。その北東側に堀が設けられ、その先がまた曲輪。他にも西側から南側にかけては土塁や切岸などなど。本丸から外側へ向かって、高低差を意識した城の仕掛けが散りばめられています。これら全ては無理ですが、その一部を探索する。今回はそんな感じですね。

<険しい>
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<良く見えないけど堀>
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現在は公園ですが、迫力満点で「城のなごり」が漂います。ただもうちょっとだけ草が刈ってあると助かりますね。

<山登道>
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道は確保されていますので、草を掻き分けるといったことなく登れます。

<遺構の中>
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お仲間二人が草木に覆われた斜面に何か見つけたようです。注意深く見れば、あちらこちらで城の痕跡に気付きます。

<大空堀>
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ところどころこんな案内があります。この下は空堀。ちょっと撮影困難ですが、現地では谷になっていることが実感できます。ちょっと深すぎるので、もともとの地形のような気もしましたが・・・(個人の感覚)

<遺構と夏草>
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「夏草や兵どもが夢の跡」などという情緒に浸る余裕もなく、てくてくと進んでいきましたが・・・

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ちょっと行く手を阻まれました。凄い草の量!ただこれは脇道(正確には細長い曲輪)。頂上までのコースは、ちゃんと確保されていますので、訪問される方はご安心を。あと、他の方のブログを見ると、もうちょっと草が刈ってあります。タイミングが悪かったかもしれません。

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傾斜と草の具合で、この上は曲輪だと分ります。ここから登るのは得策でないと判断し、一旦通りすぎることに。ただ、結局は後でチャレンジすることに。

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押し寄せる自然

<説明板:布橋桜>
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仲間の一人が佇んでいましたが、周辺に木々が多く、私はどの木を指しているのか確認しないまま通り過ぎてしまいました。ちゃんと読み返すと、深い謂れがあるようです。

無茶なことをしなくても、登山道から遺構を確認できます。

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<駿河湾>
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まもなく頂上というところで撮影。右手に見える海に突き出た陸地が、東海道の難所と呼ばれる薩垂峠(さったとうげ)です。この城を無視して、東西に行き来することは叶いませんね。

<主郭・南曲輪>頂上
SN Kanbarajo T.JPG
主郭は神社(城山八幡宮)となっています。冒頭の石碑のほか、討死した北条新三郎(戒名のため現地では分からず)の供養碑があります。この日は穏やかな日でしたが、海風をまともにくらう場所ですね。

<南曲輪の北の隅>
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<主郭から見た別の曲輪>
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主郭から見た北側の曲輪。来る途中に断念した善福寺曲輪(北曲輪)です。残念ながら間に空堀があり、ここからは行けないようです。


<善福寺曲輪虎口>
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帰りに再チャレンジ。ここが善福寺曲輪の虎口、そして立っている場所は曲輪の下に設けられた腰曲輪でした。
何も見えませんが、草を掻き分けるしかありません。ここだけは一人で突入しました。曲輪の側面に石垣らしきものを見ましたが、草ボウボウで撮影できず。

<善福寺曲輪(北曲輪)>
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視界が開けました。奥に木造の物見櫓が復元されていますが、木に覆われて遠くは見えません。

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善福寺曲輪碑

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発掘調査で出土したもの説明

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城内はだいたいこんな感じです。

■つわものどもが夢の跡■
<険しい山城>
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激戦区だけに、いろんなドラマがありました。その欠片だけでも感じることができ、有意義な訪問となりました。

---------■ 蒲原城 ■---------
築城者:不明(今川氏)
築城年:不明(南北朝時代)
城 主:蒲原氏(今川家臣)
    北条氏 武田氏
廃城年:1582年頃
[静岡県静岡市清水区蒲原]


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タグ:静岡
posted by Isuke at 06:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[中部]
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