2021年07月12日
大和の古道と飛鳥【豊浦宮址、藤原宮址】
推古女帝の宮は小墾田(おはりだ)宮、または豊浦宮と呼ばれるが、その宮址の場所は定かではない。飛鳥の豊浦の地、豊浦寺の北方の古池を含む一体とも、また豊浦西北の古宮土壇のあたりともいわれる。推古天皇は蘇我馬子の妹、堅塩媛(きたしひめ)と欽明天皇との間に生まれ、蘇我氏の血をうけている。そこで馬子は政権を独占するために、敏達天皇の皇后であった彼女を即位させた。しかし、天皇と聖徳太子は馬子の意に反し、ひそかに天皇の権威を高めることに努力する。それまで大王と呼ばれていた称号が、天皇と呼ばれるようになるのもこの御代からである。
天武天皇の崩御の後、わが子の草壁皇子を即位させようと計った皇后も、頼みの草壁皇子が死んだため、ついに持統天皇として即位する。持統朝は夫の天武天皇の理念である天皇制の確立を忠実に推し進める。中央集権に似合う壮麗な宮殿を夢見たまま亡くなった夫の意思をついで藤原宮を完成させた。狭い飛鳥の地から出て、平原に恒久的な宮として造ったのであるが、それも奈良遷都までの約16年間で終わった。
By やまと まほろば通信
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