2019年10月18日
奈良通2級 第06回 02
2-6 II.
奈良県の歴史に関することがらについて、最も適当なものを選びなさい。
(11)平成11年(1999)1月に明日香村の飛鳥池遺跡で鋳型とともに出土し、国内最古の銅貨と言わ れる貨幣はどれか。
ア.富本銭
イ.和同開珎
ウ.開元通宝
エ.乾元大宝
答え
ア
富本銭(ふほんせん)
683年(天武天皇12年)頃に日本でつくられたと推定される銭貨である。
708年(和銅元年)に発行された和同開珎より年代は古い。
この貨幣が実際に流通したのか、厭勝銭(ようしょうせん:まじない用に使われる銭)として使われたに留まったかについては学説が分かれている。
(12)〜(15) 次の文章の( )に入る適当なものはどれか。
大化元年(645)、中大兄皇子と中臣鎌足は( 12 )氏を( 13 )で倒して新政権を樹立し た。擁立した( 14 )天皇と共に飛鳥から難波へ遷都したが、次の( 15 )天皇の時に都 を戻した。
(12)
ア.蘇我
イ.物部
ウ.大伴
エ.紀
答え
ア
(13)
ア.飛鳥川原宮
イ.飛鳥浄御原宮
ウ.飛鳥岡本宮
エ.飛鳥板蓋宮
答え
エ
(14)
ア.崇峻
イ.推古
ウ.孝徳
エ.用明
答え
ウ
(15)
ア.天智
イ.天武
ウ.持統
エ.斉明
答え
エ
(16) 『日本書紀』に「新益京」と記されている都はどれか。
ア.近江京
イ.恭仁京
ウ.藤原京
エ.平城京
答え
ウ
藤原京
飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城。
日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。平城京に遷都されるまでの日本の首都とされた。
『日本書紀』には新益京と著されている。藤原京の名は、宮が同じく『日本書紀』で藤原宮と呼ばれていることから飛鳥京と同様に近世になって名づけた学術用語である。
(17) 奈良時代、平城宮の北に設けられた宮苑はどれか。
ア.依水園
イ.松林苑
ウ.吉城園
エ.大乗院庭園
答え
イ
松林苑跡
平城宮に伴う苑池遺構であり、奈良時代にしばしば饗宴が 開かれたところ。
周囲を取り囲む築地塀があり、西辺・南辺には その跡がよく残っている。
瓢箪山古墳から北に歩くと、道の東に沿って小高い盛り上がりが続き、瓢箪山古墳の南東からは盛り上 がりは東に折れ、歌姫街道(県道木津平城線)方面まで続く。これが築地塀の跡である。
その遺存状態の良さから、後世のものと考えられて気付かれないままにあったが、1979 年に築地の発掘調査がおこなわれ、奈良時代の遺構であることが確定すると同時に、東西 0.5km・ 南北1km 程の外郭規模をもつことが推定された。その中には古墳時代中期の前方後円墳もある。
(18) 平重衝による南都焼討ちの背景として正しいのはどれか。
ア.南都の寺社が反平氏の立場をとっていたため
イ.平重衝は神道に篤く帰依し、南都の仏教勢力を憎んでいたため
ウ.東大寺の大仏を溶かして銅を入手しようとしたため
エ.南都の寺院にかくまわれていた源義経を捕らえるため
答え
ア
南都焼討ち
治承4年12月28日(1181年1月15日)に平清盛の命を受けた平重衡ら平氏軍が、東大寺・興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼討にした事件。平氏政権に反抗的な態度を取り続けるこれらの寺社勢力に属する大衆(だいしゅ)の討伐を目的としており、治承・寿永の乱と呼ばれる一連の戦役の1つである。
(19) 毎年5月に興福寺境内で行われる能の上演会名はどれか。
ア.塔影能
イ.芝能
ウ.薪御能
エ.あきの蛍能
答え
ウ
「薪御能」
興福寺にかつて存在した「西金堂」で行われた「修二会」と呼ばれる行事で、薪に火をつけ魔除けの儀式を行ったことにさかのぼり、平安時代にその起源を持つと言われています。
(20) 文禄3年(1594)、吉野山の吉水院、すなわち後の吉水神社で花見の本陣を開いたのは誰か。
ア.小堀遠州
イ.豊臣秀吉
ウ.千利休
エ.筒井順慶
答え
イ
(21) 徳川幕府は奈良町に出先機関を置いたが、その機関名はどれか。
ア.奈良奉行所
イ.奈良県庁
ウ.大和鎮台
エ.大和国府
答え
ア
By やまと まほろば通信
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