2019年01月11日
奈良通への道 1-07-06
07-VI.
奈良県に関連する文学について、最も適当なものを選びなさい。
(61)長屋王が詠んだ「我が背子が 古家の里の ( )には 千鳥鳴くなり つま待ちかねて」
(『万葉集』巻3−268)の( )に入る地名はどれか。
ア.當麻
イ.明日香
ウ.泊瀬
エ.吉野
答え
イ
(62)「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」
(『万葉集』巻3−328)と詠んだのは誰か。
ア.大伴四綱
イ.小野老
ウ.大伴家持
エ.大原今城
答え
イ
(63)「しぐれの雨 間なくし降れば ( )木末あまねく 色付きにけり」
(『万葉集』巻8−1553)の ( )に入る山はどれか。
ア.三笠山
イ.春日山
ウ.室生山
エ.竜田山
答え
ア
(64)賣太神社が祭神とする稗田阿礼に関する記述のうち、正しいのはどれか。
ア.『古事記』と『日本書紀』を編集した。
イ.暗誦した言い伝えをまとめたのが『古事記』である。
ウ.『日本書紀』を清書した。
エ.『万葉集』の撰者の一人である。
答え
イ
古事記
一般に現存する日本最古の歴史書であるとされ、稗田阿礼が暗誦した言い伝えたことを、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。天地開闢 (日本神話)から推古天皇の記事を記述する。上・中・下の3巻。
(65)謡曲「三輪」は、三輪山の神婚説話と天岩戸神話、それとある伝説が絡まっている。この伝説の主とは誰か。
ア.大国主命
イ.倭迹迹日百襲姫
ウ.雄略天皇
エ.玄賓僧都
答え
エ
謡曲「三輪」あらすじ
三輪山麓に住む僧の玄賓(ゲンピン)が、いつも参詣に来る女を待つ。その日、女は玄賓に衣を乞い、玄賓は衣を与え女の素性を尋ねる。女は杉が目印だと住みかを教えて消える。里の男がご神木に衣が掛かるのを見付けて玄賓に知らせ、玄賓が確かめると衣の裾に金色の文字で歌が書かれている。その歌を詠むと杉木の中から返歌が聞え、女姿の三輪明神が姿を現す。明神は三輪の神婚譚を語り神楽を舞い、伊勢と三輪の神が一体分神だと物語り、やがて夜が明ける。
(66)吉野山で詠んだ松尾芭蕉の句「露とくとく 試に浮世 すすがばや」は、何を踏まえて詠まれた句か。
ア.山辺赤人の歌
イ.役行者の伝説
ウ.空海の教え
エ.西行の歌
答え
エ
西行庵の近くの苔清水では、「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居かな」と西行が詠み、それを踏まえて、芭蕉が句に詠じた。苔清水はやまとの水31選のひとつに選ばれている。
(67)大和路を題材にした次の俳句のうち、松尾芭蕉の作でないのはどれか。
ア.菊の香や 奈良には古き ほとけたち
イ.碪打て 我にきかせよや 坊が妻
ウ.大峯や 吉野の奥の 花の果
エ.猶みたし 花に明行 神の顔
答え
ウ
(68)松阪から大和路への旅を綴った本居宣長の日記はどれか。
ア.『十六夜日記』
イ.『更級日記』
ウ.『蜻蛉日記』
エ.『菅笠日記』
答え
エ
菅笠日記
本居宣長が43歳の時、明和9年(1772)3月5日から14日まで10日間、吉野、飛鳥を旅した時の日記。上下2巻。
大和国(奈良県)吉野山の花見を兼ね、吉野水分神社に参詣し、帰路、飛鳥周辺の史蹟を探索、伊勢本街道を通 り、美杉を経て松坂に帰郷した。同行者は、友人・小泉見庵、門人・稲懸棟隆・茂穂親子、戒言(来迎寺の僧)、中里常雄の5名。この日記はその後、吉野や飛鳥を巡る人々のガイドブックとしても読まれた。
(69)明治時代初め、手向山八幡宮の家系に生まれ、後に優れた短編小説を著した作家は誰か。
ア.上司小剣
イ.兵本善矩
ウ.住井すゑ
エ.花岡大学
答え
ア
(70)奈良を訪ねる人々に愛読されている『大和古寺風物誌』の著者は誰か。
ア.堀辰雄
イ.菊池寛
ウ.亀井勝一郎
エ.谷崎潤一郎
答え
ウ
> 上司小剣
> 亀井勝一郎
By やまと まほろば通信
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8454494
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。