2021年07月21日
大和の古道と飛鳥【於美阿志神社・見瀬丸山古墳・文武天皇陵】
桧前(ひのくま)の一体は応神朝に朝鮮から帰化した阿知使主(あちのおみ)の一族が居住したところで、集落のはずれにある神社は阿知使主を祭神とする。
そこは白鳳時代に創建された桧隈寺の跡である。
境内の一隅にその礎石が残り、また、今では十一重になって欠けているが、重要文化財指定の十三重石塔がある。
橿原神宮から南の見瀬の集落に、大和では最大の古墳がある。墳丘の長さ320メートルほどの前方後円墳で、日本で最長の横穴式石室をもち、二つの家形石棺がある。
森をなす後円部のみが御陵墓参考地に指定されているが、写真でも明らかなように前方後円墳で、かつてあった周濠は水田や人家になっている。最末期のこの巨墳が天皇陵であることは確かであろうが、誰を葬ったものかは不明である。
欽明天皇と妃の堅塩媛、或いは蘇我稲目を比定する説が出されている。
持統天皇は孫の成長を待ち、軽(かる)皇子が15歳になったとき譲位される。父は草壁皇子、母は後の元明天皇である。しかし、在位11年、25歳の若さで崩御される。大宝律令が完成した御代であり、その皇子が聖武天皇となる。
By やまと まほろば通信
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